せんしょう』にたまわく
 てんだいだいいわく「ひゃくさいとおみょうどううるおわん」と。
 みょうらくだいいわく「まっぽうはじみょうきにあらず」と。
 でんぎょうだいいわく「しょうぞうややおわって、まっぽうはなはちかきにり」と。
 ないてんだいみょうらくでんぎょうとうすすんではざいほっ御時おんときにもれさせたまいぬ。
 退しりぞいては、めつまっぽうときにもうまれさせたまわずちゅうげんなることなげかせたまいて、まっぽうはじめひさせたま御筆おんふでなり。
 ない道心どうしんあらん人々ひとびとこれきてよろこばせたまえ。
 しょうぞうせんねんだいおうよりも、後世ごせをもはん人々ひとびとは、まっぽういまたみにこそあるべけれ。これしんぜざらんや。
 てんだいよりもみょう法蓮ほうれんきょうとなうるらいにんとはなるべし。



 本日は、あいにくの雨でありまするが、その中を一層いっそう信心しんじんふるい起こして参詣さんけいされましたこと、皆さんの信心しんじん有難ありがたおもいます。
 只今ただいま拝読はいどくの『せんしょう』でありまするが、だいしょうにんさま御年おんとし54歳の建治元年の6月のしょですね。
 この8ヶ月前にはもうしゅうらいというだいげんしょうがあった。そのげんしょうを背景としてあらわされただいしょであります。
 このせん(時をえらぶ)というこのしょ題号だいごうことでありまするが、時をえらぶということはどういうことか。
 しゃくそんは、自分のめつの時代を3つにぶんして「さん」と分けておられる。
 すなわち「しょうぼうせんねん」「ぞうぼうせんねん」「まっぽうまんねん」とこれがすなわち3つの時(さん)であります。
 しゃくそんが亡くなった、にゅうめつされた最初のいっせんねんを「しょうぼういっせんねん」という。次のいっせんねんを「ぞうぼういっせんねん」という。
 そして、せんねんを過ぎるといよいよまっぽうである。まっぽうは、まんねんの他じんらいまでも長いかんであります。
 そのしょうぞうまつさんの中にはまっぽう撰取せんしゅえらる)。これがすなわち『せんしょう』のぎょであります。
 なぜまっぽう撰取せんしゅするか。まっぽうは、重大な時なんですね。ぶっぽうの上から見るとこれほど重大なことはない。
 なぜか、しゃぶつぶっぽう滅尽めつじんしてしまってどくがなくなる。
 そして、まっぽうには人々の心がすさんで戦乱せんらんの時代になる。
 戦乱せんらんがだんだん大きくなって、ついには人類じんるい絶滅ぜつめつしてしまうかもしれない。
 そのような時はしゃくそんぶっぽうでは到底救えない。
 この時、しゃくそんよりもっとすぐれた大元おおもと本仏ほんぶつしゅつげんされる。
 すなわち、おん元初がんじょじゅ用身ゆうじんまっぽうしゅつげんして、三大さんだいほうをもってほん及び全人類ぜんじんるいをお救いくださる。
 そのだいぶっぽう大転換だいてんかんがこのまっぽうなのであります。
 このことをお示しくださるためにこの『せんしょう』をあらわされたわけであります。


平成25年 6月16日 浅井先生指導