さて、安倍あべ政権せいけんは「衆参両院で三分の二の議席をた」としていよいよ憲法けんぽうを変えようと前のめりになってきました。
 そして、遺命ゆいめいこくりつ戒壇かいだん建立こんりゅうの前にはどうしてもほうりつじょうの手続きとしてぶっぽうに準じて憲法けんぽう改正かいせいしなければならないんですね。現行のほんこく憲法けんぽうではこくりつ戒壇かいだんは建てられない。
 実は池田大作がこくりつ戒壇かいだんを捨てたのはどういうことかといえば、彼はそれまでこくりつ戒壇かいだんを叫んでおったんでしょう。しかし、突如としてこくりつ戒壇かいだんを捨ててしまった。
 それは、公明党を作って選挙運動をするに、世間のひょうろんから「こくりつ戒壇かいだん憲法けんぽう違反である」ということわれるとどういうわけが池田大作は臆病おくびょう風を吹かせて『痛い』とおもったんですね。
 「だったらこくりつ戒壇かいだんを捨ててしまえ」ということこくりつ戒壇かいだん遺命ゆいめいを捨ててしまった。
 しかし、自分が捨てただけでは世間が信用しないから、そこで「日蓮にちれん正宗しょうしゅうも全部こくりつ戒壇かいだんを捨ててほしい」ということで時の貫首の細井日達に頼み込んだ。それを細井日達が了承りょうしょうしてしまった。次の阿部日顕も了承りょうしょうしてしまった。
 要するにこういうことでしょう。憲法けんぽうに合わせて日蓮にちれんだい聖人しょうにんぶっぽうげてしまったんです。
 これはちょうど靴に合わせて足の指を切るのと同じことです。憲法けんぽう日蓮にちれんだい聖人しょうにんぶっぽうとどちらがだいなのか。
 だから私はその時に「足に合わせて靴を選ぶように、なぜだい聖人しょうにんさまぶっぽうに合わせて憲法けんぽうちがいをてきしないのか」ということで責めた。
 ところが、彼らは憲法けんぽうを「不磨ふま大典たいてん」「とうといものである」ということで当時の憲法けんぽう批判なんて夢にもおもわないような風潮にすっかり乗っかって「憲法けんぽうでもってこくりつ戒壇かいだんが許されないのならばこくりつ戒壇かいだんを捨ててしまえ」ということでもって宗門一同にこくりつ戒壇かいだんを捨ててしまったということなんです。
 今そこに、いよいよ遺命ゆいめいこくりつ戒壇かいだん建立こんりゅうの前にはどうしてもほうりつじょうの手続きとして「こくりつ戒壇かいだんは建てて当然である」との憲法けんぽうを作らなけれないけないんです。
 よって、今日はこの憲法けんぽう問題について少しべたい。
 こまかいことは抜きにして、その本質だけを抽出ちゅうしゅつしてべていきたいとおもっております。
 申すまでもなく、憲法けんぽうというのはこっの基本法・最高法規でこっの在り方を定めたものですね。
 ほんで最初に制定された憲法けんぽうは、めい22年に公布されただいにっぽんていこく憲法けんぽう(通称・めい憲法けんぽう)です。
 次いで、はいせん翌年のしょう21年に現行のほんこく憲法けんぽうが公布されました。
 この2つの憲法けんぽうについてまず「これは誰が作ったのか」「どういう目的で作られたものか」このことについて少し説明いたします。
 めい憲法けんぽうは「欽定きんてい憲法けんぽう」とこうわれているんですね。「欽定きんてい憲法けんぽう」とは「天皇てんのうの意思で作られた憲法けんぽう」ということであります。
 ゆえに、めい憲法けんぽうの条文の前についている部分には「ちょく」としてこういうことっかっております。
 「ちんそうくるのたいけんり、げんざいおよしょうらい臣民しんみんたいし、たいてんせんす」ということがあるんですね。
 「天照大神てんしょうだいじん並びにじん天皇てんのう以来代々の天皇てんのうより受け取った大権(これは、ほんこく統治の大権ですが)、この大権により、現在および将来の臣民しんみんに対し、絶対ぜったい変わることのないこの憲法けんぽうせんする」ということを宣言しているんです。
 そして、第一条には「だいにっぽんていこく万世ばんせい一系いっけい天皇てんのうれをとうす」という統治の大権が万世一系の天皇てんのうにあることが示されております。
 では、このめい憲法けんぽうの制定の目的は何かというと「天皇てんのうは、天照大神てんしょうだいじんの子孫であり、現人神あらひとかみである」として天皇てんのうの権威を高めることによってこっ統治を成していくということが目的だったんですね。
 現人神あらひとがみというのはどういうものか「神が仮に人の姿となってこの国に現われたもの(神というのは天照大神てんしょうだいじんことですが)、この天照大神てんしょうだいじんが仮に人の姿となってこの世に現われた者が現人神あらひとがみ(あるいは安芸津あきつかみ)」というんですね。
 天皇てんのう現人神あらひとかみとすれば当然伊勢いせ神宮じんぐう大宗たいそう(いわゆる一番トップのだい神社じんじゃ)として神道しんとうにっぽんの国教となってしまう。めい憲法けんぽうの根底にあるのはこのそうなんですね。
 天皇てんのう現人神あらひとがみとして神道しんとうを国教としようとしてこっ神道しんとうとする。その権威でもってにっぽんの基とする。これがめい憲法けんぽうそうであります。
 次に、現行のほんこく憲法けんぽうについてえば、この憲法けんぽうを作ったのは誰かというと(これに対していろいろな意見がありまするが)戦勝国であるアメリカが連合国軍れんごうこくぐんそうれい(GHQ)に命じてこれを作らせたんです。
 そのGHQのれい総官そうかんがマッカーサー元帥げんすいですが、制作過程はこういうことですね。
 マッカーサーの命によりGHQ民政局次長で弁護士でもあるケージス大佐(当時39歳)を中心として25人のアメリカ陸軍の軍人がはいせん翌年のしょう21年2月4日から12日までの9日間でほんこく憲法けんぽうの草庵を書いて、翌13日にこれをほんこく政府に手渡して「この内容に沿って憲法けんぽう改正かいせいするように」と強く求めたのであります。
 このことは、あの矢部やべこうが後年ケージス大佐に直接面談して確認かくにんしたので間違いなく歴史的じつであります。
 要するに、アメリカの占領軍がこのほんこく憲法けんぽうを作ったんです。
 では、ほんこく憲法けんぽうの目的は何かといえば、占領目的の遂行にあるんですね。
 アメリカの占領目的とは、にっぽんふたたびアメリカを脅かす国にならないように弱体化することにあった。
 そこで、第一条では国の中心である天皇てんのうの地位をめい憲法けんぽうの統治者から「象徴しょうちょう」ということに変更した。
 かつ「この象徴しょうちょうの地位は主権の存するにっぽんこくみんの総意に基づくもの」という不安定な立場に置いたんです さらに、ほんこく安全あんぜん生存せいぞんについては憲法けんぽうの前文にこうある。
 「ほんこくみんへいを愛するしょこくみん公正こうせいしんしんらいして、我等の安全あんぜん生存せいぞん保持ほじしようとけつした」というんですね。
 この「へいを愛するしょこくみん」というのはほんの周りの諸国ですが、中国ちゅうごく北朝鮮きたちょうせんもロシアも「へいを愛するしょこくみん」だそうなんです。こんなこと噓八百うそはっぴゃくでしょう。
 そういうようなこじつけでもって「しょこくみん公正こうせいしんしんらいしてにっぽんこく安全あんぜんほんこくみん生存せいぞん保持ほじしようとけつした」という。このような姿勢で保持ほじできますか。
 じゃあほんこく安全あんぜんほんこくみん生存せいぞんということ中国ちゅうごく・ロシア・北朝鮮きたちょうせんに任せるのでしょうか。こんなことができますか。
 そこで、ほんこく憲法けんぽうにある「しょこくみん」というのは実はアメリカなのであるという解釈になっておりまするが、そういうことなんですね。
 そして、今の前文を受けて第九条でもって「戦争せんそうほう」「交戦権こうせんけんにん」を定め、だいこうでもって「一切の戦力せんりょく」を定めたのです。
 どういうことか、これは、ほん国主こくしゅのなき国とし、ほんこく安全あんぜん生存せいぞんを他国に委ねさせ、一切の戦力せんりょくなきにっぽんを作ろうとしたものですね。
 い換えれば「アメリカに依存しなければ存立しないにっぽん」を作ろうとした。
 これはどくりつこくではない。「アメリカの属国ぞっこくにっぽん」を作ろうとしたものなんですね。


第二青年会館御入仏式 浅井先生指導