一方、ほんこくにおいては有史以来初めてはいせんこくになった。これがしょう20年の8月15日でありました。
 ぶっぽうまなこで見ると、このはいせんこそだい聖人しょうにんさまに背き続けたにっぽん大罰だいばつであり、広宣こうせん流布るふ遠序おんじょですね。これが、しょう20年8月15日のことです。
 日興にっこう上人しょうにん

所詮しょせんまっぽうってほっほんもんてられざるのあいだは、こくさいなんしたがって増長ぞうちょうし、自他じた叛逆ほんぎゃくとしうてほうせん」

ということ申状もうしじょうにおいておおせになっておられまするが、これはどういうことか。
 日蓮にちれんだい聖人しょうにん入滅にゅうめつにおいては、だい聖人しょうにんが留め置かれた本門ほんもんさんだいほうを立てない以上は国土の災難さいなんは日ごとに増大し、界叛逆かいほんぎゃく国侵逼こくしんぴつの大難は年を追って激しくなる。
 歴史を見ると日興にっこう上人しょうにんおおせの通りですね。
 だい聖人しょうにん入滅にゅうめつまずどういうことが起きたかというと、にっぽんで初めて皇室こうしつ分裂ぶんれつしてしまったんですね。南朝なんちょう北朝ほくちょうの2つに分裂ぶんれつした。
 こればかりは今だ歴史上にないことですね。二人の天皇てんのうが同時に立った。
 その中ににっぽんも真っ二つに分かれ、両方に武士がついて争うようになっている。まさに、これに過ぎる界叛逆かいほんぎゃくはない。
 そして、応仁の乱を機に天下は麻のごとく乱れて、それからほん全土を血を血で洗う戦国せんごくだいが百年以上も続いたんですね。
 そして、徳川とくがわだいを経て幕末の動乱に至るその五百数十年の歴史を見るならばまさに内乱のだい界叛逆かいほんぎゃくだいでありました。
 で、めい以後のにっぽん日清にっしん戦争せんそうにち戦争せんそう日中にっちゅう戦争せんそう・日米戦争せんそうと他国との戦いに引きずり込まれ泥沼をうごとくになった。
 このように、にっぽんの歴史を大観たいかんするならば、だい聖人しょうにん入滅にゅうめつの歴史は日興にっこう上人しょうにんおおせの自他じた叛逆ほんぎゃくとしうてほうせん」のままになっております。


第二青年会館御入仏式 浅井先生指導