以上のごとく『立正安国論』は一代御化導を貫く大綱の御書であれば、大聖人様の一代御化導はまさに『立正安国論』に始まり『立正安国論』に終わっておられる。
この事を少し具体的に申せばこういう事ですね。
まず立宗より7年目に『立正安国論』によって国家諌暁が開始された。それより、三類の強敵がたちまちに競い起きたんですね。
大聖人様はこの三類の強敵を用いて、竜の口において久遠元初の自受用身の成道を遂げ給うた。
また『立正安国論』に予言された自界叛逆・他国侵逼の的中により末法下種の御本仏、一閻浮提第一の聖人であられる事が立証された。
さらに、この二難厳然の大現証を機として自界叛逆・他国侵逼が目の前に現われた。
『観心本尊抄』に御本尊様の建立の時を「其の時」と仰せになっておられる。
「其の時」というのは自界叛逆・他国侵逼が事実となった時、これは、まだ佐渡において顕われていません。
身延に御入山されて、弘安年中に至って始めてこの自界叛逆・他国侵逼の二難が目の前にハッキリと現われた。
その時、未来国立戒壇に安置し奉る本門戒壇の大御本尊様は始めて建立されたんです。
かくて、出世の御本懐を遂げ給うた後、弘安5年の御入滅に際して門下一同に講義あそばしたのがこの『立正安国論』であられた。
この最後の御講義こそ「国立戒壇を建立して仏国を実現せよ」との門下一同に対する御遺命であります。
以上のごとく拝すれば、大聖人様の一代御化導はまさに『立正安国論』に始まり『立正安国論』に終わるを知り奉る事ができる。
されば、この一書に大聖人様の御願業の全てが込められているのであります。
令和3年 6月25日 6月度 総幹部会 浅井先生指導