そして、池田大作は「妙信講が宗門に存在する限り、いつかは国立戒壇否定のたばかり、正本堂の誑惑も露見する」という事を恐れて宗門に解散処分を下しめたのであります。昭和49年8月12日、ついに解散処分が下った。
その宣告書には「日蓮正宗管長、細井日達」の名をもって次のごとく処分理由が記されておりました。
「妙信講は数年来『国立戒壇の名称は使用しない』旨の宗門の公式決定に違反し、さらにまた、昭和47年7月28日の訓諭に対して異議を唱え、数度に及ぶ宗務院の説得、勧告等にも従わず云々」とこういう事が書かれておりました
つまり、妙信講は宗門の公式決定に背いて国立戒壇を主張し、さらに、宗門が「正本堂こそ御遺命の戒壇である」と定めた訓諭にも反対をした。ゆえに処分したと言っているんですよ。
ですから、ここにありますように「数度に及ぶ宗務院の説得、勧告」とは何回も時の宗務総監と教学部長を務めておった阿部信雄(後の阿部日顕でありまするが)は宗制・宗規を改めて持ち出して「宗務院の言う事を聞かなかったら解散処分に付す」と決めた。
だから、妙信講は必ず解散処分を受けるという事で脅かした。
そして「国立戒壇が正しい」という事を言って学会首脳部と論判をした時には早瀬総監だけは人物が大きいのか最初から最後まで黙っているんですね。
ところが、教学部長の阿部信雄が口角泡を飛ばして学会に諂った事を言うけれども、最後はシュンとなってしまった。
そんな事を繰り返しておったのが「宗務院の数度に及ぶ説得、勧告」という事なんです。
「それに妙信講が応じなかったから解散処分を下した」と理由が書かれているんです。
この宗門の宣告書を見る時、まさに妙信講は御遺命を守護し奉ったゆえに解散処分を受けたのであります。
私はこの宣告書を手にした時こう思った。
『大事な御遺命が破壊されんとしている時、妙信講が安穏であってはいかにも大聖人様に申し訳ない。
これで一分の申し訳が立つ。御遺命を守り奉るに懈怠の弟子、ゆるき行者とのお叱りだけは免れる』
この思いが湧いた事を今でも私は覚えております。
鳥取会館御入仏式 浅井先生指導