このような中で、へいの左衛さえもんはようやくだい聖人しょうにんさまを連行していったん近くの蔵守さしのかみ宣時のぶときの屋敷に預けました。
 そして、その日の午前0時頃、だい聖人しょうにんさまは数百人の兵士の警護の下宣時のぶときの屋敷を後にされた。
 行先は申すまでもなくたつくちの刑場ですね。
 死を前にしてだい聖人しょうにんさま泰然たいぜんとして馬上の人となられた。
 途中、鎌倉かまくらはちまんぐうに差し掛かった時にだい聖人しょうにんさまは馬を止められたんです。
 それを見て兵士どもが「何事なにごとか」とおどろいた。
 だい聖人しょうにんさまおどろさわぐ兵士達を制して

各々おのおのさわがさせたまうな。べちことはなし、はちまんだいさつさいもうすべきことあり」

とこうおおせになって馬から降りて、りんりんたるおんこえおおせられた。

 「はちまんだいさつはまことのかみか」

 次いで、だい聖人しょうにんさまはその道理を次のごとく示されたんです。
 法華経の会座において無量の諸天しょてん善神ぜんじんが集まった時、釈迦仏は諸天しょてん善神ぜんじんに対して「末法まっぽうの法華経の行者を必ずしゅたてまつるようにここで誓状せいじょうを立てよ」ということを求められた。
 この時、すべての諸天しょてん善神ぜんじんは「しゅたてまつる」と誓約せいやくをしたではないか。
 しかるに、なぜ今その誓約せいやくを果たそうとしないのか。
 こうだい聖人しょうにんさま八幡はちまんだいさつを責められたわけであります。
 そして最後に

日蓮にちれんこんくびられて霊山りょうぜんじょうにまいりてあらんときは、天照大神てんしょうだいじん八幡はちまんしょうはちまんこそしょうもちいぬかみにてそうらいけれとさしりて教主きょうしゅ釈尊しゃくそんもうそうらわんずるぞ。いたしとおぼさばいそいそ御計おんはからいあるべし」

 「急いで対処すべし」ということおおせられた。
 これは「助けてくれ」という歎願たんがんではないですね。「対処すべし」という御命令であります。
 そして、そのまままたうまにおりになられた。
 この諌暁は、八幡はちまんだいさつ対告衆たいごうしゅうとしておられますけれども、実には、宇宙法界のすべての諸天しょてん善神ぜんじん(すなわち梵天ぼんてん帝釈たいしゃく日月にちがつてん天照大神てんしょうだいじん八幡はちまんだいさつ等)に対して「仏法ぶっぽうしゅせきを果たすべし」と申しつけられた。まさしく、ほんぶつの御命令であります。