で、話はちがいますが、私は昨日ある月刊げっかんを読んでおりまして、その月刊げっかん巻末かんまつに『日本にっぽん再発見さいはっけん』ってらんがあるんですよ。
 これは、ライターの名前は書いておりませんが、おそらく、へんしゅう主筆しゅひつがずっと書いているんでしょう。
 その中に、タイトルが『日蓮にちれん』と書いてあるんですよ。
 私はいつも『だいしょうにんさまを呼び捨てにするのは恐れ多い』と思っておりまするが、しかしこれは第三者ですからやむをないんですが、何とだいしょうにんさま讃嘆さんたんする気持きもちで書いてある。
 で、いわゆるだいしょうにんしょうがいを見開き2ページの中にみじかく書いているんです。
 もちろん、門外漢もんがいかん素人しろうとが書いてあるから少々間違いがありますが、しかし、だいしょうにんさま讃嘆さんたんするつもりで

「これこれの大難だいなんをお受けになった」
「そして、たつくちでは不思議ふしぎな事があって切れなかった」
佐渡さどに流されて、その佐渡さど塚原つかわら三昧堂さんまいどうでもって書いた『開目かいもくしょう』の中にわれほんはしらとならん。われほん眼目げんもくとならん』ちかった」

とこう彼は言ってるんですね。
 そしていわく。

ぞくけんに背を向けて、精神的せいしんてきけんに立った反骨はんこつ精神せいしん、まさに面目めんもく躍如やくじょである」

とこう書いてるんです。
 で、紀野きの(紀の国の紀、野原の野)何某なにがし(私は知りませんが)という者の一文を引いて、だいしょうにんの御いっしょう「まことに、こうともいうべきいんただよっている」と。
 要するにぞく一切いっさいおもねない。けんりょくへつらわない。そして正しい仏法ぶっぽうすすめた」というそのお心を、紀野きのという者がどこかにいているんでしょう。
 「そこには、こう精神せいしんただよっている」という事を言った。
 私はそれを見て『ずかしいな』と思った。
 池田大作が、金にまかせて世界中からくんしょうをもらって「これでもか」と肩を張ってる。
 240のめいはかなどというしょうごうって「これでもかこれでもか」と。
 そんなぞくめいという物をだいしょうにんの弟子と名乗なのる者がしがってどうするんだ。
 けんの者ですらも、このような認識にんしきに来てるではないか。
 そして、その最後の所に、このへんしゅう主筆しゅひつがこう言って文をむすんでるんですよ。

 「今、我が国は、未曾有みぞう国難こくなんに直面している。
 この時『一人いちにん日蓮にちれんでよ』とこう叫びたいのは私ひとではないであろう」

という事をっているんですよ。
 これでもって、そのようなしたたかな言論界げんろんかい主筆しゅひつが、今国難こくなんに面してほんの歴史をかえりみて、そこに日蓮にちれんだいしょうにんがおられる」という事をぼんながら、門外漢もんがいかんながら気づいたという事を見て、私は

「国まさに滅びんとする時、ぜん日本にっぽんじんたよりとするものは日蓮にちれんだいしょうにん以外にはあられない。
 『われほんはしらとならん』おおせになっただいしょうにんさま以外にはあられない。
 人生のつえはしらとするものはだいしょうにんさま以外にはあられない」

という事をみんな心の底から深刻しんこくに理解する時がる。
 この事に目覚めざめさせるのが顕正会のだい使めいであります。