以前に、大東流と武田惣角の研究家である池月映を批判・批評する記事を二度ほど書いたことがある。

 

武田惣角と大東流の研究家、池月映氏は文才がない、そして・・・ | 武術とレトロゲーム (ameblo.jp)

 

大東流と武田惣角の研究家、池月映の著作のカバーイラスト(表紙絵)を推察する。 | 武術とレトロゲーム (ameblo.jp)

 

 主張している内容以前に、大東流や合気道の経験者(いまだに修行を続けているのかもしれない)が、これほどに礼節をわきまえないのかと、驚きと憤りを覚えた。

 私のネット上での名前(ハンドル)は「武者アヴェスタ」である。

 彼はYahoo!ブログ時代から当ブログに何度もコメントを書き込んでいるにもかかわらず、

「武者アヴェスタ様、こんにちは。」とか、

「武者アヴェスタ様の記事を拝見しました。」のように、

一度も、名前で呼んでもらったことがなかった。いきなり、自説の主張に入るだけであった。シンパシーもリスペクトも、あったものではない。入口から間違えている(武術的に譬えると、相手との間合いを完全に誤っている)。全く礼節を感じなかったので、コメントをブロックすることにした。

 

 大東流や武田惣角の歴史的経緯については、私はおおいに研究・発表していただいてかまわないと考えている。

 しかし、知能の高い科学者がマジックのトリックを瞬時に見破れないのと同様に、実際に体得・体現しないとわからない境地は確かにある。大東流の合気を使えない者が、合気の技術的推論をすることには、誤謬を含む可能性がつきまとう。

 

 前2回の記事は、ややぼやかして批判・批評したところがあった。自分が一番主張したいのは、以下の2点である。

 

 ①武田惣角が易学・修験道・九字護身法・真言密教等を修行したことと、易学・修験道・九字護身法・真言密教等を修行しないと合気が習得できないことは、話が別。

 

 仮に、私が長年にわたる文献学的研究の末、夏目漱石が「鼻毛を抜いて原稿用紙にならべる癖がある」と言う大発見をしたとしよう。

 

 1.夏目漱石は、他の小説家では表現できないことを書くことのできた文豪である。

 2.夏目漱石には、鼻毛を抜いて原稿用紙にならべる癖があった。

 3.夏目漱石のように文豪と呼ばれるほどの文章を書くためには、鼻毛を抜いて原稿用紙にならべなければならない。

 

 この論理は、どう考えてもおかしい。

 現代の芥川賞作家が、鼻毛を抜いて原稿用紙にならべれば、他の小説家から抜きん出た文体になるのだろうか。

 

 これを、池月映の論理にあてはめてみると、

 

 1.武田惣角は、現代の武術家では太刀打ちできないほどの達人である。

 2.武田惣角は、易学・修験道・九字護身法・真言密教等を修行していた。

 3.武田惣角レベルで合気を使いこなすためには、易学・修験道・九字護身法・真言密教等、オカルトやスピリチュアルを研究し、体得しなければならない。

 

 となる。

 

 池月映は、「武田惣角の○○は、ヨーガの△△と一致した」とか主張している暇があるのなら、以下の点について自身のスタンス(見解)を明らかにすべきである。

 

Ⅰ 武田惣角の武術的レベルと比較して、全盛期の佐川幸義や合気道の塩田剛三のレベルはどれぐらいと考えるのか。

Ⅱ 「合気は催眠術などではなく、筋肉の働きである」と主張した佐川幸義や、植芝盛平の神様の話を全く有り難がらなかった塩田剛三が、なぜあのレベルまで到達できたのか。塩田剛三については、動画まで残されている。

Ⅲ 仮に武田惣角が、易学・修験道・九字護身法・真言密教等オカルト・スピリチュアル方面の修行をすることがなければ、合気を発見・体現することはできなかったと主張するのか。

Ⅳ 現代の大東流の第一人者や合気道の達人が、武田惣角の武術的レベルに至ることができないのは、易学・修験道・九字護身法・真言密教等を知らないからだと主張するのか。

Ⅴ 現代の武術家・武術研究家が武術を稽古する時間を減らして、オカルトやスピリチュアルを習得する時間を増やしても、武術的レベルが上がらなかった場合、それどころか武術的に悪影響が出た(精神疾患等)場合に、誰も責任を取ってくれないと考えてよいか。池月映が、責任を取ってくれるのか。

Ⅵ 大観衆の前かつ動画を撮影される状況となる現代の総合格闘技内で、合気を体現できた者は事実上いない。誰か大東流も易学・修験道・九字護身法・真言密教等もしっかり修行して、大人数の前で屈強な格闘家を崩して無力化してほしいものである。胸のすく思いである。刃物を持った相手や多人数相手にも大東流は有効と言っている手前、自分の命を守るためのルール内で一対一で戦って、合気を見せることくらいはできるだろう。易学でフィジカル的な強さを凌駕できるほど、現代は甘くない。

Ⅶ インドのヨーガは、もともと禅と言うフィルターを通してのみ日本に入ってきたはずである(禅宗以外も座禅、瞑想はする)。純粋にヨーガが日本に入ってきたのは、中村天風以降のことと思う。中村天風以前の日本へのヨーガの伝搬について、明らかにしてほしい。中村天風より25年以上早く生まれた武田惣角が、どのようにヨーガを知り、チャクラの概念に到達したのか教えてほしい。結果的に武田惣角の辿り着いた境地とヨーガの説く内容が一致していただけなのであれば、偶然の一致かもしれないし、ヨーガの影響があったように書くのは誤解を招く。結果が一致したことと、実際にそれを修行したことは別の話。真言密教とヨーガの関係、真言密教とチャクラの関係もよくわからない。空海が、チャクラの概念を知っていたのか?

 

 

 ②武田時宗や惣角を信奉する人々が、惣角を箔付けする可能性

 

 仮に、私が宮本武蔵の養子で、当時の公務員的な職として大成した宮本伊織だったとしよう。自身が地位を得たあとに、何をするであろうか。まずは、自分は養子であるが、実は武蔵の遠い親戚であるように見せかけるであろう。次に、宮本武蔵自身が高貴な出身となるように家系図を作成してみることであろう。仮託と言うヤツである。そして、当時の武蔵を知る者が減ったのちは、宮本武蔵はこんなにすごかったんだと顕彰碑等に書き残すであろう。

 

 自分は、武田惣角と武田時宗の親密さを研究した訳ではないが、時宗が惣角に付きっきりで講習会を回り、常時マンツーマンで惣角から大東流を学んでいた訳ではないだろう。警察職に付いていた時期に、惣角の放浪に付き合っている余裕はないはずである。前述の宮本武蔵と宮本伊織の譬えのように、大東流合気武道を指導する武田時宗としては、惣角が亡くなった後いかに惣角がすごかったかを主張したくなるのではなかろうか。武田惣角は実はこれもやっていた、あれもやっていた、と言うことにしたくなる。

 また、時宗自身は古武道演武会等で、他の古武道の演武を見たり、他の古流武術の重鎮とも交流ができた。自身が独自に吸収した技術や、他の古武道の秘訣・蘊奥等も、実は惣角が知っていた、体得していたとしたいところである。武術以外の方面でも、例えば「昔、惣角はこんな発言をしていたが、よく調べてみるとヨーガの大家、○○氏が話していた極意と同じである。惣角はヨーガを修行し、自家薬籠中のものとしていたとしか考えられない。」となってもおかしくない。「老子の『無』の概念と釈迦の『空』の概念は一致した。老子は、釈迦から仏教を学んだとしか思えない。」と似通った論理である。連盟や協会が主催する古武道演武会で得た他の古武道、古流武術の気付き等を時宗がメモし、それが昔から大東流にあったように見せかける可能性もゼロではない。呼吸法や瞑想法や易学にしても、同様の可能性がある。武田時宗を悪く書くつもりは一切ないが、彼が研究した全てを信じ、のちに箔付けとして利用しようとした可能性はゼロだとするのは危険である。そして、それ以外の惣角の親族、あるいは惣角の信奉者が同様のことを目論んでいる可能性もゼロではない。