ひさしぶりに、Wikipediaの『合気』の項にアクセスしてみて驚いた。その一部だけ、以前にも見たことのある、「ですます」体と「である」体が混在した独特の文体の駄文が掲載されていたからである(今後、削除、修正される可能性はある)。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E6%B0%97

 

 そう、本の森から武田惣角と大東流関係の本を数冊出版している池月映氏の文体である。まじめに文学や法律等を勉強したことがある者が読めば、教養のない者の書いた読みにくい悪文であることは明らかであろう。だいたい、百科事典等で引用文以外も「ですます」体で記されたものなど、日本に存在するのだろうか?あっても少数派であろう。ましてや「ですます」体と「である」体の混合など笑止千万である。

 

 かつて、『合気の創始者 武田惣角(池月 映・著/本の森・刊)』を読んで、他の著書にはない新事実が書かれていたこともあり、『大山倍達正伝(小島 一志&塚本 佳子・著/新潮社・刊)』と比較するかたちで、Yahoo!ブログ時代に『武田惣角と大山倍達』とのタイトルで記事にしたことがあった。

 

https://ameblo.jp/musyaavesta/entry-12506013731.html

 

 その後、池月映氏本人からコメントが入るようになったのだが、正直「こちら側が、心の中で本当はどのような感情を抱いているのか、深読みできない人なのだな。」と失望した。

 

・自分の新しい著作が出るたび、私のブログ内のコメントで宣伝してくる。

・こちらが、彼の当時のホームページ等で「ですます」調と「である」調が混在しており読みにくく、教養の知れる内容だと言うことを、当たり障りのないように指摘しているのに、一向に文体を修正する気がない。

・こちらが、池月氏の本等での主張の問題点を当たり障りのないように指摘しているのに、自身のコメントを書いたきりで、コメントに対するレス(コメント)を読もうとしない。柔道で言う「掛け逃げ」。

・池月氏の新しい著作が発表されたり、当ブログに池月氏のコメントが残されたりすることを、こちら(武者アヴェスタ)は喜んでいると思いこんでいる。こちらのレス(コメント)を読まずに、自分の意見の主張(言いっぱなして終わり)と自分の著作の宣伝ばかりするので、内心かなりいら立っていた。場の空気が読めていない。武術的な礼節をわきまえていれば、このようなことにはならない。

・過去の著作から、昨今の格闘技事情や、武田惣角以外の武術家について、彼の知識が少ないことは明らかである。例えば、木村政彦や本部朝基、國井善弥等については、3分も語れないほどの知識しかないのではないか。少なくとも、過去のこちら(武者アヴェスタ)の記事を読めば、高校生の頃から何十年間もためこんだ知識・情報への言及はあってしかるべきなのに、こちら側へのリスペクトを感じさせないコメントしか残さない。だからと言って、こちらのレス(コメント)を読んで議論を発展させるつもりもない。

・おそらくは、Yahoo!ブログ全体を「大東流」、「武田惣角」などのキーワードで検索してヒットした場合、真面目に執筆者の本文全体を読まず、「惣角」「大東流」等の言葉に絡めてコメント欄で自説を披露したかっただけと思われる。あるいは、新著作の宣伝がしたかっただけ。

・真面目に読んでいないので、詳細は覚えていないが、過去の彼のホームページに「ウィキペディア事典」のような語法があり、苦笑した。「ウィキペディア」は、「エンサイクロペディア(百科事典)」から派生した造語なのだが。平凡社の「マイペディア」のことを、「マイペディア事典」などと呼ぶだろうか。

・知能の高い科学者が、マジックのトリックを瞬時に見破れないのと同様に、世の中にはやってみないとわからないことがある。知識と技術的体得は別個である。少なくともこちらは、武術を何十年も続けて合気道は五段、なぎなたは四段をいただいている。大東流の体験的稽古を少々しただけの池月氏では、感づかない分野がある。大東流の歴史的研究はともかく、合気を使えない池月氏の合気に対する技術的推論は、誤謬を含む可能性が高い。「大東流はスポーツと違い、年齢に関係なく能力を発揮できる」と主張するのなら、自らが敵意のある武術家に対して合気を再現してほしい。池月氏がWikipediaの『合気』の項に書き込んだ「著者は理論の説明があっても、実際に合気は会得していない。」の語を、そっくりそのままお返しする。

・以前に主張した通り、安易に大東流の神秘的な現象を、精神世界やスピリチュアリティのせいにしてしまうのは、「合気は催眠術などではなく、筋肉のはたらきによるものだ。」と、オカルト的要素を持ち出さずに惣角と同等の合気を体現できた佐川幸義の主張に逆行することと思える。佐川幸義が、よりクリアに表現しようとした技術を、再びドロドロとした霊術や気合術の世界に戻してしまう。裏返せば、オカルトやスピリチュアリティに頼らなくても、佐川幸義や塩田剛三のレベルに達することができる可能性はある。

 

※今後、池月映氏からのコメントがあった場合、即刻削除するか、アクセス禁止にする。もとより、こちらのレスを読まずにコメントばかり残す人に、議論の余地はない。

 

※関連リンク先

大東流と武田惣角の研究家、池月映の著作のカバーイラスト(表紙絵)を推察する。 | 武術とレトロゲーム (ameblo.jp)

 

大東流と武田惣角の研究家、池月映の「合気」の解明のどこに問題があるのか? | 武術とレトロゲーム (ameblo.jp)