前回の続き。

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 1960年代に確かに忍者ブームが存在した。白土三平が1959年から1962年まで「忍者武芸帳 影丸伝」を連載し、その後「サスケ(1961年から1966年)」「カムイ伝(1964年から1971年)」を連載する。また、横山光輝が1961年から1966年まで「伊賀の影丸」を連載し、その終了後に「飛騨の赤影(仮面の忍者赤影)(1966年から1967年)」を連載する。「仮面の忍者赤影」のTVドラマ版(特撮版)は、1967年4月5日から1968年3月27日にかけて放映されている。そして、藤子不二雄Aが、1964年から1968年まで「忍者ハットリくん」を連載している。「忍者ハットリくん」TVドラマ版(特撮版)は、第一部が1966年4月から同年9月、第二部が1967年8月から1968年1月にかけて放映されている。ちなみに、TVアニメ版「サスケ」が1968年9月3日から1969年3月25日、TVアニメ版「忍風カムイ外伝」が1969年4月6日から同年9月28日、白土三平の「忍者旋風」を原作としたTVアニメ、「少年忍者風のフジ丸」が1964年6月7日から1965年8月31日、「ピュンピュン丸」が1964年6月7日から1965年8月31日の放映となっている。「少年忍者風のフジ丸」では、戸隠流忍術の初見良昭による忍術解説コーナーが存在した。これらの「忍者もの」の流行時期は、山田風太郎が「忍法帖」シリーズを発表して、流行作家であった時期と重なる。また、村山知義が「忍びの者」を連載していた時期でもある。

 この1960年代忍者ブームを、「第一次忍者ブーム」としよう。私が解説したいのは、1980年代前半に起こった「第二次忍者ブーム」である。この直接の要因は、TVアニメ版「忍者ハットリくん(1981年10月から1983年3月)」の放映であることは間違いない。そして間接的な要因は、劇場版「影の軍団 服部半蔵(1980年2月23日上映)」と、千葉真一(当時)が主演したTVドラマ版「影の軍団 服部半蔵(1980年4月1日から9月30日)」の放映である。「忍者ハットリくん」に続くように、忍者を題材としたアニメが次々と製作・発表された。「さすがの猿飛(1982年10月17日から1984年3月11日)」「伊賀のカバ丸(1983年10月20日から1984年3月29日)」「忍者マン一平(1982年10月4日から1982年12月27日)」等が、その例である。「忍者マン一平」については、記憶にない者も多いと思うが、当時の小学生だった者で、「タテ・タテ・ヨコ・ヨコ・マル描いてチョン!」とホッペタをつねり、引っ張りまわす「じゃんけんブルドッグ」を記憶している人は多いのではなかろうか。そして意外だったのは、「まんが猿飛佐助」である。「影の軍団」も「忍者ハットリ君」もいまだ発表されぬ製作段階の時期である1979年10月9日に放映が開始され、1980年4月29日に放映終了している。時代を先取りし過ぎた感がある。特撮では「忍者キャプター(1976年4月7日 から1977年1月26日)」が、「第一次忍者ブーム」とも「第二次忍者ブーム」ともリンクしない、微妙なスタンスにある。
 また、1982年から雑誌展開され1984年にTV放映された「仮面ライダーZX」は、「忍者ライダー」の異名を持っていた。「ダイナマン(1983年2月5日から1984年1月28日)」のダイナブラックは、伊賀忍者の子孫と言う設定で、変身前でも忍法を使用できた。
 この流れから考えると、マンガ「コータローまかりとおる!(1982年から1994年)」の主人公である新堂功太郎が、初期の頃に煙玉等を使用していたことも理解できる。映画版は1984年8月4日に公開されている。前述の「伊賀のカバ丸(マンガ版は1979年から1982年)」の映画版は1983年8月6日公開となっており、奇しくも両者ともに、千葉真一(当時)率いるジャパン・アクション・クラブ(当時)が活躍する映画であった。

 偶然にも、その同時期に海の向こうの米国では、ショー・コスギが忍者映画に出演し始め、ニンジャ・ブームが到来する。それ以降、忍者の国籍は日本である必然性がなくなり、最終的には忍者でミュータントで亀と言う「ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ」にまで行き着く。「キン肉マン」にも、日本出身とは思えないネーミングの「ザ・ニンジャ」が登場したが、米国のニンジャ映画ブームも、キン肉マンのザ・ニンジャも、そのルーツは米国で1980年に発売された小説「ザ・ニンジャ(The Ninja)」に遡ることができるようだ。

 その後も忍者をモチーフとしたアニメ・特撮は、「カムイの剣(1985年3月9日公開)」「忍者戦士飛影(1985年10月6日から1986年7月13日)」、アニメ版「仮面の忍者赤影(1987年10月13日から1988年3月22日)」、「世界忍者戦ジライヤ(1988年1月24日から1989年1月24日)」、「忍者戦隊カクレンジャー(1994年2月18日から1995年2月24日)」、「忍風戦隊ハリケンジャー(2002年2月17日から2003年2月9日)」のように、コンスタントに世に出続けている。「世界忍者戦ジライヤ」では前述の初見良昭が俳優として登場し、「忍者戦隊カクレンジャー」ではショー・コスギがゲスト出演し、ケイン・コスギとの親子共演となった。

 多くの著書が指摘しているように、「忍者マンガ」の衰退とともに「エスパーマンガ(超能力マンガ)」が誌面を賑わすようになった。忍者の「超人的能力」が、エスパーの「超能力」にすげ替えられた訳である。その点で、興味深いのが「風魔の小次郎(1982年から1983年)」である。最初は、忍者バトルに学園ものの要素を加えたストーリーだったが、中途から「サイキック・ソルジャー」なる用語が飛び出し、超常バトルへと発展する。以前に「確かにあったオカルトブーム」で記したように、日本のオカルト元年が1973年、その後1980年代にサブ・カルチャー内でオカルトは醸成されていく。オカルトブームが、1960年代の第一次忍者ブームの後に起こり、第二次忍者ブームでオカルトと忍者は合流したと言えよう。

 

 

※関連リンク先

確かにあったリバイバル(リメイク)ブーム【特撮・アニメ・マンガ】 | 武術とレトロゲーム (ameblo.jp)

 

確かにあったオカルトブーム前編【特撮・アニメ・マンガ】 | 武術とレトロゲーム (ameblo.jp)

 

確かにあったオカルトブーム後編【特撮・アニメ・マンガ】 | 武術とレトロゲーム (ameblo.jp)