昨日、モーツァルトの「レクイエム」を聴いた(越谷、サンシティ)。

昨日は、8月9日だった。

 

長崎に原子爆弾が投下された日である。

私はこれまで二度、長崎原爆資料館を訪れている。

前職出張時、教委の先生が昼休みに連れて行ってくれた。

そこで見た写真のいくつかは、今でも忘れられない。被爆直後だけではない。

 

数日後になって身体に紫色の斑点が現れた人々。放射線によって骨髄が傷害され、

出血を起こす。当時、それが何なのかさえ分からないまま、次々と人が

亡くなっていった。

中には、私はまともに直視できなかった写真もある。

 

そして、今年6月に亡くなられた美輪明宏さんの被爆体験も思い出した。

美輪さんは10歳のとき、長崎で被爆した。

被爆直後、街へ出た美輪さんは、重傷を負った人に突然腕をつかまれ、

助けを求められたという。驚いてその手を振りほどいた。

すると、ひどく傷んだその人の皮膚や組織が、自分の手にもべっとりと

残ったそうだ。

 

美輪さんは後年、あの日に見た光景を「地獄」と表現していた。

それは、生涯忘れることのできない記憶だったのだと思う。

そんなことを考えながら、昨日の「レクイエム」を聴いていた。

 

そして、もう一つ考えたことがある。

昨日の独唱者のうち、ソプラノとバスの二人が、キーウ音楽院で学んだ

音楽家だった。ソプラノは日本の東京藝術大学を経てキーウ音楽院へ。

バスはウクライナ出身で、同じくキーウ音楽院で学んだ方だった。

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キーウ。

昨日、その名前を経歴の中に二度見たとき、1945年だけを考えていては

いけないような気がした。

81年前の長崎を「過去の戦争」として悼んでいるこの瞬間にも、

世界では戦争が続いている。街が破壊される。

昨日まで普通に暮らしていた人が命を失う。家族が離ればなれになる。

そして、それを実際に経験している国で学んだ音楽家が、8月9日の日本で

モーツァルトの「レクイエム」を歌っている。

もちろん、モーツァルトが1791年に書いたこの音楽は、長崎も、

ウクライナも知らない。

200年以上前に書かれた死者のための音楽が、1945年の長崎にも、

そして戦争がなくならない現在にも重なって聞こえてきた。

 

昨日の「レクイエム」は、単なる名曲ではなかった。

過去に亡くなった人を悼むだけの音楽でもなかった。

今、生きていること。

命が次の世代へ続いていくこと。

そして、戦争を決して「昔の出来事」にしてはいけないこと。

そんなことを考えながら聴いた、8月9日のモーツァルト「レクイエム」だった。