あるご縁から、今年より文教大学越谷キャンパスにも、月、数回、不定期に訪れるようになった。

 

 

この大学のすぐ近くには、約30数年前、新婚時代に暮らしていたアパートがあった。

 

当時は6畳二間の2DK。新築ではあったものの、風呂には追い焚き機能がなく、

慌ただしく入浴していた。そんな何気ない日常が、昨日のことのように

よみがえってくる。

 

かつてアパートが建っていた場所は、この写真のように草が生い茂る地に

なっていた。

 

 

私たちが引っ越した後に建てられた一戸建てでさえ、すでに

解体されてしまったという。まだ築20年ほどではないだろうか。

何か事情があったのだろう。

 

私はその場所にしばらく立ち尽くし、人生の無常と、それでも確かに

そこに存在していた日々の尊さを静かに噛みしめていた。

 

そして、その目の前には文教大学のキャンパスが広がっている。

30年前の私にとって、この大学は、ただそこに「ある」だけの日常風景の

一部だった。川沿いの遊歩道はランニングにも適しているが、当時の私は、

まさか自分が走ることを趣味にするなど想像もしていなかった。

 

しかし、人生とは実に不思議なものである。

 

30年前には何の接点もなかったこの場所が、今では私の活動の一つの舞台と

なり、共同研究という新しい役割を与えてくれた。

それは単なる「懐かしさ」を超えた、何か運命的な巡り合わせのように

思えてならない。

 

町を歩くと、当時の面影は驚くほど少なくなっている。

よく利用したコンビニ「SPAR(スパー)」も、駅前で漱石全集を

予約購入した書店も、駅前の吉野家も、仕事帰りによく立ち寄った居酒屋も、

何度か利用した銭湯も、もう姿を消していた。

 

その銭湯には、忘れられない思い出がある。以前、群馬県教育委員会の先生と

お話しした際、その先生が文教大学の卒業生であることが分かり、

北越谷駅前のこの銭湯の話で大いに盛り上がった。

その先生は、ビネー知能検査の件で大変お世話になった、私にとってかけがえの

ない存在である。

銭湯はなくなっても、その場所が結んでくれた人と人との縁は、今も私の中で

生き続けている。

 

失われた風景への寂しさは、確かにある。

けれど同時に、この土地が再び私を迎え入れ、「共同研究」という新しい役割を

与えてくれたことへの、不思議な感謝の気持ちも湧いてくる。

消えた日常への愛おしさを胸に抱きながら、私は、この思い出の詰まった町で、

新しい「今」を刻み始めようとしている。