※現在のリンツ・ブルックナー管とは別のオーケストラです。
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 1944年7月、ヒトラーの暗殺未遂事件が起きた。(6月には、連合国軍は"史上最大の作戦"であるノルマンディー上陸作戦を開始。)各地の帝国放送局も、総力戦にまきこまれることになった。
 
しかし、ザンクトフローリアンでは7月23日、特別な出来事があった。国立歌劇場の指揮者.ヘルベルト・フォン・カラヤンがブルックナー8番を指揮するためにベルリンからやってきたのである。
 
 カラヤンはザンクトフローリアンに一週間滞在した。ベルリンの居心地がよくなかったのだろうか、ここにやってくる際、夫人(最初の夫人)の他、夫人の友人や義母を随行、ザルツブルクからは自分の両親まで呼び寄せたという事実からして、カラヤンはこの地で良いポジションを得ることを希望していたものと思われる。
 カラヤンは、このオーケストラと録音を行いたい旨をゲッペルスに申し入れたのである。ベルリンでは空爆のため、録音がなかなか出来なかったのである。
 
 ブルックナー第8番のコンサートは厳粛さを増した。息を潜めた静けさの中で楽員と聴衆は指揮者の登場を待った。
そして、ついにヘルベルト・フォン・カラヤンが静かに登場したのである。
 
 (カラヤンファンならご存じのことと思うが、カラヤンは1944年にシュターツカペレ・ベルリンとブルックナー8番を
録音している。4楽章がナチスの技術開発試験によりステレオで録音されているということでも話題になったものである。
6月28目に2,3楽章。9月29目に4楽章が録音されている。
1楽章の録音の所在は不明。この録音の合間にカラヤンはやってきたのである。
 
 2,3楽章を録音したものの、空爆で4楽章の録音が延期され、音楽活動が自由に出来ないベルリンに不満も多かったであろう。
またベルリンではフルトヴェングラーとの確執もあった。
 帝国管との希望録音は、同じブルックナーの8番だったようだが、これは、ベルリンで現在進行中ということで、却下されてしまった。残念至極..。
 しかし、カラヤンは思い入れが強かったのか、再度、申し入れを行っている。
カラヤンにとってブルックナーの第8番はチャイコフスキー「悲愴」同様、溺愛していた曲だったのである。
 カラヤンが帝国管とのコンサート後に、宣伝省次官グッテラーに宛てた手紙を紹介する(1944.8.14)。
 
 「…軍事郵便番号OO080番の私の提案について、帝国大臣殿は私が帝国ブルックナー管弦楽団と「不滅の録音」を
行うことを許可なさるご意向です。・・許可を頂ければ、すぐに手はずを整えます。心からのご挨拶を…。ヒトラー万歳。
ヘルベルト・カラヤン」
 
 演奏会の批評は以下の通り
 「聖なる営みの前に祈りを捧げる司祭のごとくに彼(カラヤン)は心を鎮める。やがて下ろした両腕が決して目立たぬように、
静かに円を描き始めた。無に抱かれた久遠のときから目覚めるように、地が震え、雨が降り、そしてヴァイオリンのトレモロが
始まった。大きく弧を描く両腕とともに第一主題が姿を現した。光と生命が生まれ、そして成長していく。
 
 驚きに満ちた金管楽器が告げた。"世界が誕生した。闇は解き放たれた!"」。
 
 ナチス党機関誌「フェルキッシャー・ベオバスター」はこの演奏会を大きく取り上げたが、多くの新聞は、
ごく簡単に報道したに過ぎなかった。所在地についても、ただ「南ドイツのとあるバロック教会で」とだけ繰り返された。
 
(続)