庭の花・続報50(松の木)(令和6年) | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、去る 4月11日(木)の「家政婦さんの入院・続報116・中篇・31」のブログの中段やや上に、

「(前略)去る 10年前の10月14日(火)の『気功』のブログの中段やや上に、

『(前略)日本人に 【まつ】とえば、めでたいもの、節操高いものと考え、新年や慶事の際には、必ずこれを飾り立てる慣習を続けています。

 針葉樹でありますが、森では 生存競争で、ひのきや杉が勝ちます。そのため、磯の松原(たとえば、富士山の世界遺産構成資産に登録された【三保の松原】がそうですね)とわれるように、土壌の水分の少ない、苛酷な環境に分布しています。環境が厳しいので、根を しっかりっています。たとえば、高山のハイマツのように樹形の立地適応性が強いです。

 友人でも、去る10月7日(火)の【ボランティア・地域医療】のほうのブログ で記しました地域医療研究会の看護学生でも、心身医学の某・医療系の学生サークルの看護学生でも、【まつ】が苗字に付く方々かたがたが見えましたが、この話しを致しましたところ、特に、その内の一人ひとりが、松の環境が厳しいということと、自分の置かれている環境が厳しいということに自己同一(心理用語)して、松に共感していました。(後略)』と記させて頂きました。なお、上記の『まつ』にちなませて頂きます。すなわち、当家の『まつ』のことでありますが、何故なぜか 金柑キンカンの木の下に置かれているのであります。それで、金柑キンカンの木の木陰こかげになり、太陽の光が届かないのであります。そのために、下の画像のように 太陽の光を求めて 横に伸びております。しかも、根元ねもとの葉は 光合成が出来ないので、なくなってしまっています。そのうえ、下の画像のように はちに入っていますので、そのはちごと 移動しようと思いました。ところが、その『まつ』の木の根が はちを突き抜けて 地面に根をっているらしく、動かないのであります。それで、家政婦さんによりますと、金柑キンカンの木の枝を切ったらいいとのことでありました。ところが、金柑キンカンの木の枝を切ってしまうと、その木が 半分以下の大きさになってしまうのであります。

 

 

木の根が はちを突き抜けて 地面に根をっているらしく、移動しようと思っても 動かない『まつ

 

 

 

(後略)」と記させて頂きました。

 ときに、上記のように、その「まつ」の木の根が はちを突き抜けて 地面に根をっているらしく、動かないのでありました。しかしながら、やさしく ゆっくり 少しずつ はちを持ち上げれば、地面から はずせるのではないかと思われ ってみました。すると、誠に有り難いことに、地面から はずせました。それで、の当たるところに移動しました。

 

 

この場所に移動することに 決めました

 

 

移動する 地面をたがやしました

 

 

移動する 地面をたがやしたあとに、水を 充分に あげました

 

 

はちの底(いたかったね、御免ごめんね、と伝えながら、やさしく ゆっくり 少しずつ はちを持ち上げました。 ちな みに、右下に 蛞蝓なめくじました)

 

 

移動したあとに、充分に 水を あげました。 ちな みに、上からだけではなく 下からも 隙間すきまから きつけて 水を あげました


 

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)