式根島(伊豆七島) | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

 このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。

 リンクを らせて頂いております。紫色のブログ・タイトルをクリック(英語:click)(もしくは タップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)

 

 さて、去る 9年前の10月8日(水)の「親の受診に付き添っていること・1」のブログ そして 去る 9年前の11月9日(日)の「親の受診に付き添っていること ・2」のブログのそれぞれ ともに中段やや上、さらに、去る 8年前の2月23日(月)の「天皇陛下行幸の君恩によくして」のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の関係で、約41年前 すなわち 昭和57年(1982年)8月に、式根島(伊豆七島)に行きました。ちな みに、竹芝桟橋たけしばさんばしから 一晩 けて 翌日 到着するのであります。しかも、2等の 天井桟敷てんじょうさじきのような 薄いカーペットがかれただけの 雑魚寝の客室でありました。なお、当時は まだ、高速で 短時間で到着する ジェット船は 就航していませんでした。

 ときに、去る 5年前の9月14日(金)の「父親の食事、洗濯 そして 入浴・77」のブログの中段やや下に、

「(前略)(介護福祉士のかた(常勤)によりますと、)お金がないから 式根島(伊豆七島)には 行けなかった とのことでした。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、式根島(伊豆七島)を勧めたのでありますが、飛行機で行くには お金が なかったとのことでありました。

 ところで、式根島では、輪になって ビーチバレーをしました。ちなみに、釈尊(お釈迦様の尊称)によりますと この娑婆世界(仏教用語)は 苦であるとのことであり 苦の連続でありますが、当方の人生におきまして、そのビーチバレーが 最大に 楽しいときでありました。誠に有り難く存じ上げます。あのような時間は もう戻りませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

両手に花は 1学年後輩の男子

 

 

足地山

 

 

足地山

 

 

 

 

 

 

足地山

 

 

 

 

足地山に登る

 

 

 

 

足地山

 

 

 

 

 

 なお、温泉もありました。

 

 

足付温泉

 

 

足付温泉

 

 

足付温泉

 

 

足付温泉

 

 

足付温泉

 

 

足付温泉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大型客船

 

 

大型客船

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 つぎに、今でも思い出しますが、式根島の北端の泊港の海水浴場は綺麗でした。

 

 

式根島の泊海水浴場

 

 

式根島の泊海水浴場

 

 

式根島の泊海水浴場

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

民宿での食事

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、去る 9年前の10月8日(水)の「親の受診に付き添っていること・1」のブログ そして 去る 9年前の11月9日(日)の「親の受診に付き添っていること ・2」のブログのそれぞれ ともに中段やや上、さらに、去る 8年前の2月23日(月)の「天皇陛下行幸の君恩によくして」のブログの中段に記させて頂きました 某・ボランティア(英語:volunteer)のサークル(英語:circle)の関係の 先輩夫婦には 伝えたことであります。すなわち、翌年の昭和五十八年(1983年)の式根島旅行のときは、当方は 浪人中であり しかも あとがなく 万が一まんがいちのときは 死を覚悟していましたので、その旅行を受けるべきではなかったと 心より反省致しております。ちな みに、人生で 最大の汚点のひとつであるかもしれません。なお、そのときは、複数の台風が来ました。それで、式根島に残ると、1週間は 帰れなくなりそうでありました。ついながら、夏休みであり、浪人生にとりましては 天王山でありました。すなわち、浪人生なので、当然 帰らなければならないのでありますが、漁船に乗れるのは 数名のみでありました。そこで、当方以外の数名の男子は 残ることになりました。しかしながら、全員が、漁船に乗れれば良かったですね。つまり、漁船に乗れるのは 数名だけとのことでありましたから、一人ひとりの男子で 残りの女子たちを引率しなければなりませんでした。そこで、下田に着くまでは 波しぶきがすごくて 同期の女子と同様に 全身 びしょれになりました。ちな みに、船内に入れる人には 入ってもらいました。なお、その漁船は、伊豆 下田まで しか、運んでくれませんでした。それでも、破格の 一人ひとり 金1万円を支払いました。そして、下田から 東京に戻るのにも 時間がかりましたが、同期の女子が 行きつけの新宿のバーに行こうと言い出しました。ここも、帰ればよかったと、心より反省致しております。ついながら、その同期の女子にとりましては 行き付けのバーのようであり、その店長も 彼女のことを「ミルキー」と呼び 親密な様子でありました。ちな みに、その頃 その同期の女子は 残った男子の一人ひとりと交際していましたので、電話していました。それが ことの発端であり、式根島に残されたのに、東京で バーで打ち上げと思われたのでありましょう。それで、式根島では 枕を 当方に見立てて 「○○○!」と攻撃されたと 伺っています。なお、当方の不徳の致すところであると 心より反省申しております。ついながら、あのときの教訓で 上記の某・ボランティアのサークルの関係の方々かたがたと 行事以外の旅行は 遠慮しなければならないと思い 極力 実践して参りました。やはり その某・ボランティアのサークルの関係のメンバーの方々かたがたとは、常に運動に関わっていなければならないのであると思わせて頂きました。

 

 (義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)