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さて、去る 一昨年の10月2日(土)の「鰻の蒲焼・1056(蕎麦・カレーうどん・父親の食事)」のブログの中段やや下などに、
「(前略)ヘルパー(日本語:家政婦)に因ませて頂きます。すなわち、家政婦によりますと、約半世紀前の『日本沈没』という映画を 20代の頃 観たとのことでした。(後略)」と記させて頂きました。
ときに、去る 7年前の9月18日(日)の「北海道旅行・6( 層雲峡)」のブログの上段に、
「(前略)去る1月5日(火)の『母親の新年会』のブログ の上段に、
『(前略)去る11月5日(木)の『法人マイ・ナンバー』のブログ の上段に、両親は約8年前に商売を廃業したと記させて頂きました。この商売をしていたときの 住み込みの従業員(後略)』と記させて頂きました。この親戚の長男が、上記のような住み込みの従業員として 来てくれていました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、この親戚の長男は、昭和47年(1972年)の春に 当家に来ました。それで、毎年 正月には、実家の北海道 旭川に帰省していました。 因 みに、この親戚の長男が 翌々年の正月のときには 実家に 飛行機で帰省すると言うので、昭和49年(1974年)1月2日に 母親と共に 羽田空港に 見送りに行きました。その帰りに、母親と 二人 で 新宿の武蔵野館で 上記の「日本沈没」という映画を 観ました。すると、母親と 二人 で 初めて 映画館で 観ましたが、母親と共に、「いい映画だった。」との話になりました。なお、このときは、お正月でも 1月2日であるということもあり、映画館は 空いていました。それで、その次 は、父親 と その親戚の長男と 三人で、その映画を 同じ 新宿の武蔵野館に 観に行きました。すると、このときは 1月中旬の日曜日でありましたが、満席であり 三人共 立ち見でありました。序で乍ら、その映画は、昭和48年(1973年)12月29日より 正月映画として 公開されました。すなわち、上記のように 母親と 二人 で 観たときは、公開 5日目であった ということになりますね。
(義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)