今回の日本縦断セミナーで嬉しかったのは・・・。一年前の本ブログ

本部道場での進歩 で記してあった

国際沖縄空手道
無想会
世界総本部道場
の直弟子と、日本国内の直弟子諸氏との格差が埋まっていっていると、実感できたことです。
 これは指導する立場にあるわたくしにとっては、非常に嬉しいことであり、有難いことだと思っています。
 っとここまで記した上で、もう一つだけ克服しなければっというか・・・。
 最後に残る、最大点・最難関点というものがあります。
 それは、いま現在・・・。世界総本部道場の直弟子であろうが・・・。日本国内の直弟子であろうが・・・。黒帯・茶色帯のレベルであれば、
 「彼・彼女は、ここの・・・。この部分の修正が必要なので、指導してくれ!?」っとお願いした場合には、的確に解決策を見つけ出し、かつその解決策を、いかに指導している彼・彼女に伝えるかの技量も保持しています。
 まだまだ教える方の引き出しに限りがあるので、視覚で・・・。聴覚で・・・。あるいは触覚などで指導した方が、この相手には伝わる。
 あるいは、論理的に説明、すなわち言語での指導の方がこの相手には伝わるという部分には、やや混乱があるものも・・・。
 それなどは、経験を積めば凌駕できるものでしかありません。
 
 なお老婆心で記しますが、教える方は上記のような、引き出しが多ければ多いほど良いです。
 学ぶ相手の技量や生活、そして年齢や経験、さらに性格などの差異によって、自分の指導方法を変化させて、教わる人間にとって最良の方法で指導が出来る可能性があるからです。
 ただ学ぶ方は引き出しは一つ、あるいは引き出しナシの方が上達します。
 
 弊会において、ここまで直弟子諸氏の理解力、そして指導力のレベルが引き上げられたのは、一重にだけでは無く、の領域へも踏み込んだ理解が出来るいることの証なのだ! っとわたくしは己自身の修行の過程を振り返ってみて理解でき、かつ日米両国の直弟子諸氏の努力によるものだと、有難く思っています。
 
 さて・・・。
 ここまで上達した彼らですが、最後の課題があります。
 それは、
一目で
指導すべき相手の、
修正すべき点を見抜く
才能・能力です。
 じつは、この才能・能力こそが、日本武道が究極の目的とするであろう
観の目
を得るということなのです。
 別の言葉で陳べれば、見切れる見極める。っということかもしれません。
 
 いずれにしろ、じつはこの観の目とは、厄介なもので・・・。
 まず、習得するのが困難です(稀に生まれつきの人間も存在しますが・・・)。
 それ以上に厄介なのは・・・。
 相手の必要な部分が観えるということは、相手の欠点、弱点が、観る目を持った自分には理解できるということです。
 これは、戦い。闘いにおいて、相手に勝つためには、非常に有利というか、必要不可欠な才能というか、究極に近い境地でもあります。
 でもこれは、言葉を代えていえば、相手の欠点、弱点に付け込むことが、観の目を得た自分には、可能であるということでもあります。
 でもこれって、ある意味、人間失格にもなれると言うことでしょう?!
 
 わたくしは、個人的には空手道、武道などにおける「道」というものなどの存在は、このことに気づくまで修行をした人間(たち)が、己を戒めるために編み出した、規範であったのだと思っています。
 
 すこし小難しい記述になってしまいましたが・・・。
 畢竟、われわれがやっている空手道や武道、そして格闘技・格闘術というものは、そこに行きつくまでの修行をしたかで、その器が問われるだけなのだという、簡単な事実なのでしょう。
 
 いま己自身の棒術・槍術の稽古も順調(?)に進んでいますが、本ブログでは、もう少し日本縦断セミナーの総括を記していく予定です。