仕事のこととこれからのこと | すみれときいろとフィリピン生活

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不妊治療備忘録→娘ふたりの成長日記・家の売買リフォーム記録・フィリピン(BGC)生活記録

産後、私は産後休暇という形で仕事を休んでいました。

妊娠4ヶ月以降なら、流産・死産した場合でも産前産後休暇・出産手当金 ・出産育児一時金が利用できます。

この頃の私は軽い躁鬱状態で、今後の仕事についてもすごく迷っていました。
職場からは「産休明けは引き続きしばらく病休をとってもいいんじゃないか」とありがたい気遣いを受けていましたが、保留にしてもらっていました。
というのも産後の入院中に、私は半ばヤケクソで「もう仕事も辞めて、新しいこと始めてみようかな」と言い放ち、その場で転職サイトを検索したりしていたのでした。
夫はなんだか妙なところから無理やり立ち上がろうとしている私に、それでも喜んだ様子で「それはいいね」と乗ってきて、一緒に検索し始め、こんな職種もアリじゃないか、これはいい条件なんじゃないか、とひとしきり盛り上がり。
世の中には私の知らない世界が無限に広がっている、と思うと、そのときだけはベッドの上で動けない状況も忘れられました。

大学卒業から勤めて8年ちょっと、気の合う同僚たちがいて、公務員的な立場もすごく気に入っていた職場でしたが、如何せん忙しく、夫婦で揃ってご飯を食べるのもままならない状態でした。
結婚当初から義母からは主婦になることを勧められており、それに余計反発して仕事に固執して夫を単身で海外に赴任させたりと、そんな数年間でした。

今回の一連の騒ぎで、夫はほぼ仕事を投げうって献身的に私のフォローにまわり、何度も沖縄まで来てくれて、私の気持ちにも大きな変化がありました。
私の人生は私だけのもので、夫の人生もやはり夫だけのものだと思っていたけれど、違うのかもしれない。夫に頼りながら、頼られながら、送る生活もあるのかもしれない。
夫婦には当たり前の感覚なのかもしれませんが、私はそれまで「私は私の足でひとりで立っている」と本気で思っていたので(^_^;)
まさに青天の霹靂でした。
(実際、夫婦の財布は独立採算制で、私は仕事を辞めるまで夫の収入も貯金額も知りませんでした。大学院を卒業し、就職しようか博士課程に進もうか迷う当時はまだ彼氏だった夫に対し、学部卒で就職して数年そろそろ結婚も視野に入れていた私は「あなたの人生はあなたのものだから好きにするといい、でも私の人生もあるから、博士卒まで待っているか、先のことはわからない」と言い放ち、既に二人の人生だと思っていた夫を愕然とさせたこともありました…←今でもときどき言われる)

そんなこんなで、まずは退職してみることにした私。
未だに、少し、いやけっこう、後悔はあります。
離れてみて一層、職場が好きだったことを自覚しましたし、まぁまぁいい待遇だったよなぁと(笑)

それでも、家を毎日きれいに保ってご飯を作って待っているだけで、夫が存外喜んでくれることを知りました。
「仕事をがんばっているサキもよかったけど、家でふたりで寛げるのもいい」と笑う夫をみて、結婚して数年経ってやっと結婚生活が始まったような、新婚気分になったりしていました。

前職からの紹介や、街をフラフラ歩いてたら声掛けられて(笑)始めたバイトなどで気楽に小銭稼ぎをしつつ、それでも度々不意に訪れる虚無感。
これを払拭するにはやっぱりもう一度子どもを授かるしかないと思い、「二人目でまたお世話になります」と言って卒業した不妊治療クリニックへ、重い腰を上げて再び通うことにしました。