学校推薦をもらうには
5段階中1つでも2があると
もらえないという噂があり
体育が2の娘は
(運動が苦手&運動制限で圧倒的不利)
たぶん推薦はもらえないだろうと
思いましたが、推薦願は出すことにしました。
推薦志願書に
志望動機
病気を乗り越えたこと
頑張ったこと
長所、短所
添削添削の中、2日かけて
自己PRを書き上げました
娘はすべり込みで推薦願を出したので
何もかもがバタバタでしたが
無事推薦をもらいました。
公立Bの入試は小論文と面接。
放課後学校で練習を行ってくださいました。
小論文は、半分以上闘病の事を
書いてしまったので、国語の先生から
「病気の部分が多い」
「自己紹介が長い」
と何度もやり直しを言われ
毎日毎日、書いては出し…を
繰り返していました
放課後は補充+特別補充
だったので、遅くまで学校に残りました。
先生の指導が入っているので
私が変に口を出して
ややこしくさせるのは悪いと思い
書き直しの宿題は見ないようにしました。
この生活が約一ヶ月続き
推薦試験の日をむかえました。
私はパニック障害ありなので
送りは
旦那に頼みました。
受験後は私が迎えにいき
車内で
「自信あるー!」
と、言っていましたが
日が経つにつれ
「落ちてたらどぅしよう」
「同じ学校で私だけ番号がないかも」
等、ネガティブ全開でした…
そして発表当日…
なにも喉が通らないのに
近くのファミレスで、発表の時間を
ドキドキ待っていました。
(ポテト小(シェア)と、小パフェで満腹)
そして早めに公立Bに着き
掲示板からはちょっと離れた所に
待機場所があり、時間まで待ちました。
娘の幼馴染も受験していて
二人で先に見に行くと言ったので
見るのが怖かった母親たちは
後ろからついていく事に
しました
発表の時間になり
娘たちは早足に行き(心臓つよっ)
母親たちは、こわーーい!と
言いながらゆっくり進みました。
まず、幼馴染がジャンプしているのが
見え、娘がその子の肩を
バシバシ叩いていたので
娘は落ちたのかな〜と思っていたら
二人でジャンプしていたので
合格したんだと確信しました
娘の受験番号が見えた時
中1からずっと苦労してきた中で
推薦を勝ち取り、合格できた娘を
誇りに思いました。
ホッとしたのか、ボロボロ涙がでて
(泣いてた親ワタシだけやったな)
幼馴染のお母さんも、私を見て
涙目になり
よく頑張ったね!って
二人を褒めました
記念写真を撮ったあと
帰り道で
「あ~っこれでもぅ勉強せんでいいー!」
「終わったーーーー」
と言って大喜びでした。
(高校入ったらまた勉強でっせ!)
娘は2月に進路が決まったので
3月は狂ったように遊んでいました
おわり