昨年、仕事帰りの福山駅でなんか無性にCDショップに寄りたくなってしまい、グーグルマップで検索すると意外に近くにあったのでスマホを片手に探してみたのだが…。目的地に辿り着くと、そこは廃墟よろしく、真っ暗な窓ガラスが睨む空き店舗が鎮座していた。私の中には泡を食った気持ちと「ああ、やっぱり」と妙に冷めた思いが同居していたのだった。
CDの売り上げが右肩下がりというニュースですら過去の話の様な気がする。もう、その次元ですら無くなった2016年に私は清春のニュー・アルバム『SOLOIST』と巡り合った。
私が清春を最初に知ったのは1996年。いわゆるCDが最も売れていた時代付近である。当時通っていた中学の音楽の授業でのこと。担当の先生の試みだったのだろう、生徒が持ってきたCDをかけて皆で鑑賞するという習慣が一時期あった。ある日、クラス・メイトが持ってきたのが、黒夢の「BEAMS」という8cmシングルだった。その曲を聴いた時の高揚感、それは今でも覚えている。
黒夢は、数年後の1999年に無期限活動停止を選択し、ベスト・アルバム「EMI 1994-1998 BEST OR WORST」を出す。この作品は2枚組で、SOFT DISKとHEAD DISKという題、白と黒の配色で区別されている。簡単に言えば、前者はポップでメロディアスなロック・チューンや叙情的なミドル・テンポのバラードが納められたディスク。後者は過激な歌詞のソリッドなロックやスピード感のあるパンキッシュな楽曲が占めているディスク。私が人生で初めて購入したアルバムがこの作品であり、思い入れのある作品でもある。
当時、黒夢というバンドは、ボーカルの清春が“脳”ベーシストの人時が“腰“を担っていて、それ以外はサイボーグでできているようなバンドだと称されていたと記憶している。的を射た表現だと思う。黒夢はあの時代のリスナーが求めるロック・バンドという佇まいを完璧にシンボリック化していたと思う。今から考えれば左うちわだった頃の余韻がまだ残る日本の裏側部分に、切っ先を向けるような歌詞、アティチュードが黒夢の音楽にはあったのだ。
黒夢の活動停止後、直ぐに清春はSADSという新たなグループを組み、ラウドでダークなロックを体現し、バンドという佇まいを突き詰めていった。
その後、2003年ごろから清春のソロとしての本格的な活動が開始され、今に至る。
なぜ、黒夢とSADSを改めて簡単に振り返ったかというと、今作を語る上でどうしても必要だと感じたからだ。というのも結論から先に言ってしまうなら、清春の長いソロ活動という道の途中で、あの時の黒夢と邂逅したのが本作であるからだ。
作品の始まりは、いつもの清春ロック「ナザリー」で始まる。(安逸な表現で申し訳ないが、清春は腐っても清春だから、私はそう評している)ただ、音の粒に生々しさがあり、いつもと違う入り口になっているのも感じた。
また、三拍子で奏でられるバンジョーとバイオリンの音色が混じり合うアジアの民族音楽調の「夢心地メロディー」。ギターのカッティングとオルゴールの様なキーボードが“Let’s dance”という歌詞にまた違った情景を与えているジャズ・テイストの「EDEN」。今のブームとも言える4つ打ちを取り入れた「QUIET LIEF」が、古典とコンテンポラリーな音像を交差させていく。
そして、前述した清春・meets・黒夢を最も感じたのは、「DIARY」「ロラ」等の楽曲からだ。ここに差し掛かる時匂ったのは、あのSOFT DISKの楽曲達の叙情性に他ならない。そこに今のメロウな清春の歌声が混じり合う瞬間が確かに存在している。
もう一つのポイントとして、ソング・ライター清春の成熟という側面をつかさどる楽曲がある。それは「瑠璃色」だ。この曲は、言うなれば、ジュリー・meets・清春だ。音楽的には、歌謡曲や日本のポップスと清春のロック・テイストが混じり合った瞬間だろう。清春は若かりし頃、ジュリーこと沢田研二になりたかったという。そういった意味で、彼はエイベックスというレコード会社を経て、今のワーナー・ミュージック・ジャパンでロック×アイドルをアダルトなスタイルで結実させたのだと思う。
さらに、歌謡曲→お茶の間というキーワードに関して、私がずっと温めてきた妄想がある。それは、清春が童謡の「およげたいやきくん」を歌ったら、すごくマッチするのではないかという想像だ。そんな願いを少し満足させてくれたのが「メゾピアノ」だと個人的には思っている。
つまり、清春はそのレベルの“SOLOIST”独奏者になりつつあるということだと、私は考えている。
この作品で、清春は黒夢に再会したのだと思う。でもそれは交差点での一瞬の出来事。あくまでも彼はソロの歌い手として、次に進み続けるだろう。
しかし、清春は黒夢という存在を手放したからこそ、またこうやって、ばったり会うことができた、とも言える。彼にとっても、僕たちにとっても、このバンドは特別な意味を持つ。
最後に、黒夢のベスト・アルバムに故・東條雅人氏が書いたライナー・ノーツがある。その一節に“無期限の活動停止を宣言した黒夢というロック・バンドの存在は、もしかしたら今後、彼ら自身にとって最強のライバルになるのかも知れない。そしてそれは、僕達にとっても永遠に消えることのない”それぞれの夢“であり続けるに違いない……。という部分がある。この言葉が、今更ながら現実味を帯びてきているような気が私はしている。
そう思った理由は、本作の中核を担う「FUGITIVE」という楽曲の歌詞にある“今すぐ 夢の先まで逃げて 帰らない時を僕の視界に”という部分が、“黒夢”と共鳴しあっているということ、だけではない…
“たからものは手放せて初めて宝物と言える”ある小説の一節を記憶している。
私たちは、大きな“夢”と別れを告げた。だからこそ再び出会ったとき、それがたからものだったと言える…
そんな瞬間に巡り合うこともできるのだ。
SOLOIST(初回限定盤)/清春
