その日、僕はそれとなく仕事を終え、電車に乗っていた。
いつものように某音楽ニュースサイトをスマホで眺めていた時のことだ。僕はそれを目にした時、本当に全く以ってわけがわからなかった。事実が事実として、目の前にコップいっぱいの水が零された。コップから溢れそうで溢れなかった満たされた永遠は一瞬でその形をなくした。僕はそれを飲み込むことは愚か、一滴すら舐めることも出来なかった。
史上最高傑作の呼び声も高い『C2』をリリースし、すべては上手く進んでいるかのように見えていた。全く何の前兆も脈絡もなかった。
ほんの四ヶ月前に約二年ぶりに見に行ったツアーは本当に素晴らしい出来で、若かりし頃の彼らにはなかったアダルトな雰囲気さえ漂う非常に妖艶なロックンロールだったと記憶している。砂漠に水を巻き続ける信念を背負った四人がいた。湯浅はいつもほとんど話さない。この日もそれは変わらなくて、いつもの彼に安心感さえ覚えた。ギターを真剣に弾く姿も相変わらず、ショウヘイダンスのキレも最高だった。
紫の照明が四人を照らし、未来への希望のイメージがそこには映しだされていた。
小出がMCで話していた内容も印象的だった-
「今フェスとか行くとみんな同じような四つ打ちのやつやってるじゃないですか。あれはね、僕らCでもう先にやったんですよ。だから、今若いバンドと同じようなことしてたって面白く無いと思うんですよ。今、僕ら演奏もうまくなってきて、それを自覚していますし、出来ることも増えてきて、今やりたいことは昔やりたかったことと勿論違うんですよ。どんどん変わっていこうと思います。で、今度のアルバムはもしかしたら、わかりにくいかもしれないですけど、いいものを作れたって思えてるし、今僕らがやるのは次の10年を見据えた音楽です。例えばこんな音はどうでしょう?」(多分こんな感じの内容だった)と話し、「曖してる」を演奏した。
それがもう本当に震えるほどカッコ良かった。この10年のベースボールベアーもすごかったけど、この四人で歩んでいく次の10年のことを考えると胸が熱くなった。永遠に四人であることを信じて疑わなかった。
それはあまりに当たり前過ぎた。朝、起きて、外に出て、上を向いたら空があるくらい当たり前だった。その当たり前に理由も疑問も抱かなかった。
ベースボールベアーについては『C』からずっと作品を聞いているし、その間のバンドの変化も細やかに僕は受け取っているつもりだ。インタビューなどはほとんど読まないから、音楽以外で彼らが何を考えていたかは曖昧にしか把握できていない。だけど本当にわけがわからない。
様々な過程を踏み、しっかりと積み上げて、壊し、それを繰り返し、青春が終わり、また始まり、終わらないように、ずっと続いていくために呼吸してきたバンドだ。そうやって作り上げてきた命でさえ、突然に終わってしまうのが現実の恐い所だと僕は思った。
今は今しかないので会いたい時に会いたい人に会わなければいけないし、永遠はないから後悔しない為にライブに行きたい時に行かなくてはいけない・・的なことを、僕はここ数年、毎日考えている。
半ば、そういう気持ちで先日のライブにも行った。だけど、結果として後悔は残った。
後悔のないように生きることなど無理だとわかった。だってそれが最後だってわからないから。
幸せはいつだって、抱きしめたとたんにピントがぼやけてしまうから、そうなる少し前でしっかり見続けることなんてできない。仮にそれが最後だとわかっていたなら、僕に何が出来ただろう。
もう何もわからない。全ての流れに逆らえない2016年はあまりに残酷に僕の気持ちを切り裂いていく。
僕は何かが”終わる”という事実に結構、寛容な方だと思う。結果は変わらないとしても、終わり方、”終わりへと向かっていく過程”を非常に大事にしている。本当に自分たちが納得できる形で、自ら終わりを選び取ってくれるなら、それを受け入れる。僕はそういうファンだ。
逆に一番、納得出来ないのはわけのわからない流れの中で突然に物事が終わることである。ベースボールベアーの場合は、三人で続けていく選択だったわけだが、今ここにひとつの終わりは確かに存在している。この終わりとどう向き合い、どんな理由を添えるかが大事だ。今回の件について湯浅のみがコメントを出していないことが僕は恐ろしくてたまらない。
大学の時に初めて聞いた”STAND BY BE”に衝撃を受けた。
ナンバガ的であり、スーパーカー的であり、しっかりとした日本のロックが聞こえるバンドだった。青春とは無縁だった学生時代の自分に青春の意味を教えてくれた。自分が大人になっていく中で、少しは青春することが増えて、また聴くのが楽しみになった。社会人になってしばらくして、仕事をクビになった時、そこにあった現実と向き合えたのも名盤『新呼吸』のおかげだ。いつだって人は青春出来るのだと知った。そして名盤『二十九歳』に収録された”魔王”の歌詞に涙した。僕が呪いのように抱え続けたコンプレックスが誰かの傷を癒やすおまじないになることを理解し、現実でそれを納得できる体験もした。どんどん自分の中でベースボールベアーはかけがえのないバンドになっていった。
どうしてこんなに大事なバンドがこんなことになってしまったのか本当にわけがわからない。どうすればいいのかわからない。ちゃんと話して欲しい。どうしたって、三人でステージに立っている姿を僕は想像できない。それは永遠に埋まらないパズルのピースのように見える。今後、どんな素晴らしい作品を出しても、ずっとずっと考えてしまう。とにかく湯浅がいないとダメだ。聞き分けの悪いガキでかまわない・・お願いだから嘘だと言って欲しい。
感情のままに書いていたら、本当に何がいいたいのかわからなくなってしまった。
どうか、ベースボールベアーの未来が明るいものに成ることを今は願うことしか出来ない。
C2(初回限定盤)/ユニバーサル ミュージック
