ゲスの極み乙女。/両成敗-全ては外道の計画通り | MUSIC TREE

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邦ロックを中心に批評していく
音楽ブログです。更新不定期。

ずるい。音楽家はずるい。

最低すぎて僕は涙と笑いが止まらなかった。なんだこの名盤は????

まさかとは思ったが、川谷は結果として自らの過ちさえも音楽に利用した。
人格なんてもうどうでもいい。むしろ不倫してくれたことに感謝しているくらいだ。
(※不倫はいけないことです)

ロキノンシーンにおけるクソサブカル野郎的出発点から、フェスを制覇し、お茶の間に殴りこみ、そのキャラクター性とキャッチーなサビで事実上、国民的バンドまで上り詰めてしまったゲスの極み乙女。
そこで勝ち取った信頼とは呼びがたいビッグウェーブ的、動物園のパンダ的パブリックイメージを簡単に捨ててしまった先日の一件、その全てが計算ではなかったのかとアルバムを聞いて感じる。

閉塞感のある現代に切り口を入れ、ゴシップに踊らされるだけの低俗な大衆にぶっ刺さるナイフのような歌詞は気持ちがいいし、その刃はどこまでも美しい。
しっかりとしたリズム隊に支えられた土台はまるで砂場のように形を変え、その上で遊ぶ歌、ギター、シンセ、そして覚えやすいサビがよくわかんねぇけど、最高のバランスで混ざり合う。
音楽知識なんかなくても理解できるオサレな雰囲気で「あああああやばい」ってなる。
売れるに決まってるこんなの。悔しいけど最高にかっこいい音楽だ。


アルバム前半はポップな上澄みをなぞりながら、国民的バンドとしての自らの立ち位置と大衆の関係性を弄ったように描き、自分を含めた現代人を風刺していく構成。

大差ないんだって 善も悪も違わない
データ処理した言葉は空気に触れるべきじゃない(両成敗でいいじゃない)

賛同を得る間もなくすぐに飛び交う
反射反論がグーになった心をパーになって掴んでいた
またか
-己に返る痛みがない人と吐き出しあっては
キリがない嘘と本当と嘘を掴みあっては嘆く
その度温度を測り間違って冷たい側に回るんだ (続けざまの両成敗)


かと思えば、会社で時間が過ぎることだけを願う入社三年の青年のユニークな歌もある。
64分があまりに早く過ぎ去る。長編小説のような読了感がある。
ずっとずっと言葉と音が僕の耳について、まわってくる。
続く、アルバムA面とB面を繋ぐブリッジのような『オトナチック』では、”大人と子供”という永遠のテーマにひとつの解を示している。川谷の冷静な視点が恐ろしい。

大人になってまで
言葉飲み込むなんてやめとけよ
悔しく思ったなら背負い続けてみろよ(オトナチック)





後半は大衆から抜け出た、一人の人間としてのプライベートな内容にどんどん迫っていく。
特にポエトリーリーディングの『無垢』の歌詞にハッとした。

元気にやってますか?
僕は君のいない世界ではなんとかやってます
君にとっては僕がいなくなったんだけど
勝手な言い方してごめん
無垢な季節が来たら迎えに行くよ


そして、この歌詞の後に続く『無垢な季節』には鳥肌が立った。




例の彼女がすべてを失う寸前なのに、作中で過ちを懺悔するかのように、自らを見つめ直し、ある意味では開き直ることで「人間とはつまり何なのか??」を自問自答し、この上ないレベルで音楽を進化させている。それを『私以外私じゃないの』という結論に美しく帰結させ、誰でもない自分というアイデンティティを確立させている。
バンドと言う生き物はそのバンド名に合ったバンドになっていく。”名は体を表す”という話である。
己のアイデンティティを勝ち取るために数々のバンドが長い間、苦悩し、時には終わりを選択していく中で、2ndアルバムにして彼らはそれを獲得してしまったのである。




これぞゲスの極み乙女。
その美しき帰結主義に開いた口が塞がらず、「こんな方法論ってありかよ」と僕は衝撃を受けた。


そしてアルバムを聞き終えた時に思い出したのは、まずひとつ
「罪を犯したことのない者だけがこの婦人に石を投げつけなさい」というキリストのお話だった。
結局、僕らは生まれながらにして罪を背負い続け、誰にも石を投げられない。
ロマンスがありあまり、死に物狂いで生き急ぐことを選び、「私以外私じゃないの」と言う当たり前を身を以って、納得することでしか僕らは罪を忘れられない。

また、「あいつと俺は意見が違って、ましてやYesもNoも選べない人間全員含めてと俺は敵対しなくてはならなくて、気に入らない奴は叩き潰さなくてはいけない」みたいなSNS上に流れる最近の気持ち悪い空気感を「両成敗」というワードでぶった切ってくれた事実もこの上なく痛快である。バンド自体をメディアの中でみんなのおもちゃとして大衆に扱わせることでそのメッセージ性は一層、誇張された。

もう一つ思い出したのは、昔、四人組ロックバンドが『深海』というダークな作品をリリースし、それが音楽ファンの間で今も尚語り継がれる名盤であること。あのボーカルも同じように不倫をし、精神をすり減らせ、その果てに素晴らしい音楽を完成させた。今では楽しく、音楽をやってるおじさんだ。時が全てを解決するわけではないが、人格だとか不倫なんて大した問題ではないのかもしれない。


このブログでは何度も言っているが、僕は基本的にアーティストの人格まで気にして音楽は聞かない。
何が起ころうが、音楽の快楽性に僕は逆らうことが出来ない。
先日の岡村靖幸の作品がまさにそうだった。音楽は音楽として完璧に独立し、僕の目の前に現れていた。「こいつは最低の人間だから受け入れない」という下らない発想で素晴らしい芸術に向き合わない、見落とすという行為ほど愚かなことはない。

僕はだいたい言いたいことは言ったので、あなたも言いたいことを言って、生きたいように生きればいい。わけのわからない噂に躍らされることを望むならそのままに。
あいにく僕にそんな暇はないらしい。
僕はやっぱり音楽に踊らされたいし、自分が費やすべき時間を見定めて、死に物狂いで生き急ぐよ。


両成敗(初回生産限定盤)/ワーナーミュージック・ジャパン