SHERBETS『CRASHED SEDAN DRIVE』 | MUSIC TREE

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邦ロックを中心に批評していく
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―スンドメの美学―

 刀の切っ先を喉元から1mmの処で寸止めして、相手の身動きが取れないようにする。そういうロックが世間から必要され無くなってどのくらいが経っただろう。そんなものはロックじゃないんですよぉという言葉も聞こえる。確かにそうなのかもしれない。でも確実にロックはそういう側面を持っていた。
 そういえば、あれから70年が経ち、日本は平和になった。でも、戦争は終わっていない、まずそういう前提で話を進めようと思う。

 シャーベッツの10枚目のオリジナル・アルバム『CRASHED SEDAN DRIVE』昨年の『きれいな血』はジャケットに映された煌く目や彩色からして陽な雰囲気を持っていたとするなら、今作の夕暮れ時の雪道を走る車というものから伺えるのは限りなく陰な作品であるということだ。
 音像から見える情景は正にそれだった。切なさを宿したものを表現する浅井健一は水を得た魚のように、自由にロックする。ただ、今回、音楽的側面で特に感じたのは、浅井健一が歌を歌っているというとだ。何を当たり前なと思われるだろうが、ロックとはリズムに乗って歌詞を歌うことが必要である。だから、日本語であれば特にロックのビート感に合うように歌詞を載せるのが常套手段であろう。
彼もそれは百も承知だろうし、それがロックとしてかっこいいのだ。
 でも、この作品は少し違うようだ、正にロックといえる枠から逆に外れようと歌っている気がしてならない。歌うことに比重を置くことで、たどたどしくなり、それが結果として歌っていること自体に意味を持たしている。そんなイメージだ。

 それが結果的に浅井健一の持っている純粋な心を浮き彫りにしている。生々しく。それは言うなれば、BLANKEY JET CITYの浅井がまだ、歌詞の中で物語を通して、何かを伝える表現方法にシフトする前の、パーソナルな視点から生まれた歌詞を歌っていた初期の頃の佇まいにリンクしているようだ。

 で、シャーベッツは平和を歌う。世相を揶揄する。もしこの世界が本当に平和なら、その必要があるだろうか。
 「Stealth」の歌詞に“自分の領土を自分で守れん/そんな動物は絶滅品種だ”という浅井健一なりの、熱い平和への思いが言葉にされている。ただ、その後に“あぁいったい僕は/あぁ何を言ってるの”とお茶目に翻している。ロック、ポップミュージックとはそういうものだ。
 本当にそんなロックは必要ないかい。戦う武器も持たない、戦う姿勢も見せない。それでも僕らは、平和を乞い願う。

 さあ、少なくとも前には進まなくてはいけない。この“壊れたセダン”のような世界でドライブを始めようじゃないか。BGMはもちろんロックでしょ?




CRASHED SEDAN DRIVE (通常盤)/SPACE SHOWER MUSIC