結局、人は一人なんだと改めて思う。そう考えだして、宇宙の神秘や“地球の曲線”に思いを馳せ始めたら、もう完全にいっちゃってるんじゃないかなぁ。
最近よく耳にするミニマリスト。自分の身の回りの持ち物を最小限にして、本当に必要なものだけを持つ。その代わりに人とのつながりやコミュニケーションのためにお金を使うような人たちをそう呼ぶらしい。大量生産、大量消費の中で、逆にそういう人たちが増えてきているとのこと。
私が思うに、大半の人は、ミニマリストというコトバに乗せられ、誰かに提示された正しさにパクッと食いついているだけだと思う。おそらくその人たちは数十年後、クソとモノにまみれて暮らしているだろう。
UK出身のロック・バンド、ミステリー・ジェッツの5枚目のアルバム『カーヴ・オブ・ジ・アース』イギリスのバンドの持つ一つの特徴である、冷たさを感じさせる楽曲「telomere」では、トム・ヨークを彷彿さえせるメインボーカル、ブレイン・ハンソンのハイトーン・ボイスで幕があがる。軽めのジャブではなく、重めの悲しみを突き付けてくる旋律に、そんじゃそこいらの絶望ではないものがポップに仕立てあげられている。
日本盤の帯に80s、プログレッシヴ・ロック、サイケデリック・ロックの全ての良いとこ取りしたようなキャッチ―なサウンドと評されているが、現在のポップ・ミュージックは過去の素晴らしい楽曲ライブラリーからの引用と編集によって進化している。まさしく、それを体現しているバンドと言える。
本作品の中では、サビの部分に80sのポップネスを感じる「bubblegum」や、プログレな始まりから、サイケデリックな展開に進む「midnight’mirror」。また、プログレッシヴ・ロックという言葉で避けて通れないのが、長尺な楽曲であること。最も秒数の長い「Blood Red Balloon」は60年代末~70年代初期を思い起こさせる、プログレ的な歌いだしから、ブリティッシュ・ロックの歴史を遡るように展開していく。
エピローグを飾る、「saturnine」「the end-up」の2曲は、ネオアコといわれる、古典的なフォーク・ロック等に影響を受けたポスト・パンクの潮流を見せる。6分を超える時間の中、プログレ的な重さと、80sのキラキラ感や、サイケデリックな幻覚感が混じり合い展開していく楽曲で幕を閉じた。
時代を行き来する楽曲。その中にあるケミストリ―。これを作りだす一つの要因として、バンド・メンバーのブレイン・ハンソンとヘンリー・ハンソン、この親子関係から生まれる親和性も影響しているのだろう。
何れにせよ、バンド名と共鳴する様な神秘性は、曲の構成以外に歌詞の中にも潜んでいる。「1985」という曲は作品の中でも究極に美しいメロディと深い絶望が綯い交ぜになった曲だ。その歌詞の訳詞の中で、“土星が僕らを1985年まで連れ戻してくれるはず/憧れでいっぱいの、若き恋人同士の瞳と瞳がきらめいて/僕らがこの世に生を受けた頃に/土星よ、君は僕らのもとに回帰したのか/もう一度”とある。ロマンティストすぎるでしょう。しかし、この部分がミステリー・ジェッツを構成する一つのパーツなのだ。
こういった、絶望に立ち向かうための哲学性はどこから生まれてくるのだろう。中心メンバーのブレイン・ハンソンは、二分脊髄症とう障害を持ち、松葉杖で体を支え、バンド活動をしている。困難をもろともしない姿勢、これが、彼の音楽活動に強い影響を与えていることは確かだろう。
でも、やっぱり彼らも人間なのである。歌詞を追う中で、一番目を惹きつけるのは、“君と僕”が作り出す運命についてだ。人は所詮一人なのだが、それでも、私たちは君と僕の物語を描き、それを渇望する。だからこそ、最後の歌詞が、yes I hope I end up with you(“そう、君と添い遂げられたらいいな”訳詞より)という本質的な人間の温もりに包まれた言葉で閉じられる。そこまで到達できてこそ始めて、人は何もいらないと言い切れるのである。
curve of the earth/carol
