江沼郁弥が考える、圧倒的な絶望を表現したのが、『拝啓。皆さま』『理想的なボクの世界』だとする。イコールそれは色彩で喩えるなら黒となるだろう。つまり逆説的に言うなら白だ。その後の彼らの活動は、その白に彩色していくことが一つのテーマとなっていたと思う。初期メンバーの脱退によって、サポートによる活動を余儀なくされた彼らは、その状況をプラスに捉え、バンド・サウンドを深化させる方向を選んだ。そして、新ドラマー中村一太の加入によってplentyの季節が移り替わろうとしている。
新メンバー加入後、初めてのフル・アルバム(通算3枚目)。大きな特徴としては、全体を通して取り入れられた、ストリングス、鍵盤楽器や金管楽器。ライブでも多様な楽器をバックに演奏をするなど、トライアルなバンド演奏を行ってきた彼らにとっての集大成的な意味を含んだ作品とも言える。また、中村一太の表情豊かなドラムは、楽曲に新たな色を加えるという行為に一役かっていることは間違いないようだ。初期2作以降、江沼自身が求めていたであろう、曲から発せられる多様な色彩美というものが今作で結実したように感じられる。
また、彼が何故バンドの変革を求めていたかという根本的な疑問点について、一つの示唆を与えている。つまり、その契機となったのが本作だともいえる。
plentyの歌詞にもよく出てくる、“夜明け”とか“新しい”何がしかとか、それはロックバンドとしては必要不可欠な言葉であり、その反面、これがまやかしと捉えられることもしばしばある。本作にもそういう言葉がちりばめられているが、彼自身はこの言葉に慎重である。
ファースト・アルバム『plenty』の「蒼き日々」に“朝が来るまでは僕だけが正義。”という歌詞がある。この歌詞には、plentyというバンドは闇の中でこそ真価を問われるものであり、希望の朝が来た瞬間に必要はなくなるけれども、それでも進むんだよという意味があるように思えた。
だからこそ、本作で彼が歌詞にしている“目前の朝を喜ぼう”いうのは、目前の夜を喜ぼうということになるのではないか。揚げ足を取りたい訳ではない。そう思った理由は、「口をむすんで」の“光と憶わず てらされて”と“ことばでは とおくおよばないな”という歌詞からだ。これが光だと思っていても、人によってはそれが闇かもしれない。そんな言葉で伝わりきらない思いが膨れ上がったplentyは、色彩豊かなバンド・サウンドにその可能性を求めたのではないだろうか。
形に成らないかたちを表現することをずっと模索してきた江沼郁弥。plentyにとって、音にしても、何にしても、“ざわつく”季節が来る。そんなかたちが見えるのではないか。
いのちのかたち/headphone music label/FAITH MUSIC ENTERTAINMENT...
