正直に言うなら、“或る景色”をずっと待っていた気がする。彼らのメジャー・ファースト・アルバム『C』から、もっと言うなら、インディーズのラスト・アルバム『HIGH COLOR TIMES』から。でも結局その景色が何だったのか分からなかった、今までは...
小出祐介はボーカルとギターというアイテムで戦ってきた。何のためにかというと、彼がよく使う歌詞“青春”の帳をこじ開けるために、ずっとロックしてきたのだ。だから、見つけられるか分からない扉を探したり、どこにあるか分からない新世界を描こうとした。何故そんな徒労をと思われるだろうか。いや、そうじゃない、それこそがロック・バンドとしての価値そのものなのだ。結果的にそれが無かったという事を結論づけたのが『二十九歳』だったと思う。サカナクションの山口一郎の言葉を借りるなら、「グッドバイ」の歌詞がそれに近いと言えるのではないか。
タイトルの『C2』からも分かるように、『C』のパート2を表している。おそらく普通のロック・バンドなら避けたい、ダサいとも言えるアプロ―チ。しかし、それがベボベなのだ。『C』でそうだったように、本作ではギター・ロックの可能性をもう一度模索するものになっている。ここ最近のバンド・アンサンブル以外のプラスのアレンジよりも、本来のギター×2、ベース、ドラムの最小音数の価値と、音の行間の可能性を信じた構成になっていると感じた。
ただ、それは単に過去の音像を再現したい訳ではないのだ。「それって、for 誰?」part.1、「文化祭の夜」等、主要曲に見られる、ファンクな16ビートなノリやダンス・ビート。ジャズ・アンサンブルで作品を締めくくるなど、2015年の時代性を素早くくみ取った音作りになっていることが重要だと思う。もしかしたら、古典的な海外のロックも愛する、小出にとっては当然のセンスだったのかもしれない。
前述したように、私が本作で最も心を動かされたのは、その“或る景色”が見えたことに他ならない。そのキー・ポイントになる歌詞は「どうしよう」の“青春が終わって知った 青春は終わらないってこと”という部分。私はこれを聴いたとき、小出祐介自身にはその景色が見えているのだなと思ったのだ。だからこそ、それを悟ったのであろう彼のニヒリズムに溢れた歌詞世界が、怖いくらいに炸裂している。その言葉を連ねるためにファンキーなリズムが必要だった、なんてこともあり得るのではないか。蛇足になるが、センチメンタルな部分で、ベースの関根史織のボーカルがフューチャーされているあたりも、元々あったバンドの可能性を再構築出来たのかなとしみじみ考えている。
すべてにおいて、雲が途切れた向こうの側の景色を見せてくれたベボベ。次は、パート3かな。
C2/ユニバーサル ミュージック
