水樹奈々の歌声について-演歌的情感をJPOPに落とし込める現代で唯一の才能 | MUSIC TREE

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邦ロックを中心に批評していく
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僕はあまり女性歌手を熱心に聞くことはないのだが、今更ながら本当にドハマリしてる歌手がひとりだけいる。そのたった1人の才能の話を今回はしよう。
※水樹奈々をまともに聴きだして、一年くらいのリスナーのひとりごとです。間違った表記などがあれば指摘お願いします。

水樹奈々。日本の女性声優、歌手、ラジオパーソナリティ、ナレーター。 1980年1月21日 生まれ、愛媛県新居浜市出身。 34歳 。歌手としてブレイクした年齢を考えれば、決して早咲きのそれではない。

現在はアニメ好き界隈からの絶大な支持を得ている彼女。紅白歌合戦への5年連続出場などなど、最近では歌番組への露出も増え、一般層への認知度も上がってきた。”アニメの変な曲を歌ってる歌のうまいおねえさん”くらいに思ってる人もいるだろうが、今や知らない人を探すほうが難しいくらい有名な女性歌手の1人である。その知名度、実力、実績を考慮すれば、”現代のアニソン女王”と言っても過言ではないポジションに彼女はいることになる。



現代のアニソン女王・・・まあそれは間違ってない。彼女の人気を決定づけた12作目のシングル「ETERNAL BLAZE」 は人気アニメのOPであったし、現在の彼女の立ち位置があるのは熱心なアニメオタクのおかげであることは間違いないだろう。
その中で導き出される、水樹奈々=オタクを楽しませるためだけの音楽、声優の余芸で歌手やってる人という世論の片隅くらいにある認識が誤解であることを今回は主張したい。

僕の考える水樹奈々、そして彼女の持つ歌声がイメージはアニソンの限られた狭い世界の話で済むものではない。アニソンの枠を超え、ひとりの女性歌手として真っ直ぐに対等に僕は彼女の歌声を評価し、優れた音楽として称賛したい。
水樹奈々を初めてまともに聞いた時の第一印象はあの存在感ある声の力強さだった。ある種の嫌悪感さえある、良かれ悪かれ、絶対的に無視することができない圧倒的な存在感。最初は僕の苦手なタイプの声だなと思った。しかし、否が応でも引きこまれ、そして抜け出せない程の引力を持った存在でもあった。まるで、転校初日に突如現れる「あんたと同じクラスなんて信じらんない」が口癖の、気に入らないけど気になる女の子みたいな第一印象だった。だいたいその展開だと後でヒロインに主人公は恋をするのがお決まりだ。

彼女の声には色んな表情が見える。歌詞などなくても歌声だけで思いが伝わるくらいに。お世辞にも文才があるとは思えないメッセージ性の弱いアニソン特有の当て字と中二病的表現が飛び交う歌詞は、彼女の歌声と絶妙なバランスを取っていると思える。あの情感の深さはどこから来るのだろうか。

その理由を考えるときに、決して素通りできないのが彼女の過去だろう。
演歌歌手を目指すレールを父親に用意され、幼いからころからその為の厳しい教育を受けてきた彼女。学校が終われば、友達と遊ぶことも許されず、歯医者を経営する父親の仕事場で毎日のように演歌を歌わされたと言う。ただ歌うことは好きだったし、歌で誰かに褒められることは喜びだったという。その後、のど自慢全国大会の優勝と同時に事務所と契約を交わし、上京をした彼女。しかし、夢に挫折するような毎日が続く。なかなか歌手デビューの決まらない日々、事務所のすすめと興味から通うことになった声優学校と学業及び歌手活動の両立、歌唱指導の先生からのセクハラなどなど・・・それを乗り越えてやっと手にした歌手活動もすぐにブレイクするものではなかった。そして、やっと活動が安定した頃に父親が他界。そんな父への素直な思いを他界後7日で歌にした深愛は彼女の代表曲となった。



これらは全て、彼女の自伝から知り得た過去であるが、並大抵ではない波瀾万丈な人生を送っている。別に、苦労した人間が成功するとも偉いとも思わない。才能も努力もないのに苦労話だけをする人間は僕は嫌いだ。だが、彼女の歌にはそんな過去の経験を前に進むためのバネに変えるような力強さを僕は感じる。さらに、声優という職業で培われた表現力の高さも彼女の音楽を形成する大きな要素になっているのではないかと僕は推測する。これは水樹奈々に限った話ではないが。所謂声優さんがCDデビューするという行為はどこか、本業とはかけ離れたアイドル的なアプローチにも見えるが、最近はそうでもないなと思っている。音楽、芸術には表現力が必要であるし、それは大部分を占めるほどの大事な要素ではないが、時には個性に生まれ変わる。声優でいい表現が出来れば、音楽でもいい表現ができる。という暗黙の了解があるのではないだろうか。まあこの話は脱線。

つまり、これらの経験と才能が可能にする表情豊かな表現力や演歌的な拳の効いた歌唱法こそが水樹奈々の持つ最大の長所である。
流行りのJPOPの大方に欠落している情感の深い思い、歌を丁寧に歌い上げることの大切さを水樹奈々の歌声は教えてくれる。


また、彼女のデビュー以来のプロデューサーである三嶋は水樹奈々についてこう語る。

「ポップスにビブラートを思いっきり解き放ってみたら、俺の理想の歌謡曲になったんだよね。」

非常に納得できる発言である。
ただ、演歌という音楽は現代では特に若者にとってはポピュラーなものではない。僕だってあまり聞かない。おそらく、普通に演歌歌手になっていたら、彼女は評価されることはあっても、ここまで大きな支持を得ることはなかっただろう。だからアニメソングやJPOPが持つあの取っつきやすさは打ってつけだった。その中に演歌的な要素を落としこむというハイブリッド感こそが水樹奈々の音楽であると僕は考える。
演歌が持つ未来にまで伝えたい長所、そして日本が生み出した歌謡曲やJPOPの長所、両方のいいとこ取りを実現したのが水樹奈々の音楽である。
そう、水樹奈々の歌声が与えてくれるイメージは僕がずっと追い求めてきた、いつの時代かに確かに存在した、この国の歌謡曲の理想そのものだったのである。

筋金入りのアイドル好きとしても知られる三嶋。演歌の英才教育を受け、歌の先生に弟子入りしたにもかかわらず、声優デビューした水樹奈々を新世代のアイドルに育て上げようと考えたそうだ。三嶋が持つアイドルという認識は僕が持っている認識とは別のものだが、狙いは大当たりだったと思う。結果的に水樹奈々は全く新しい歌手としての存在、ポジションを築き上げた。三嶋という才能あるプロデューサーがいたからこそ、今の水樹奈々があることを決して忘れてはいけない。

どうだろうか?少しは水樹奈々に対する見方が変わっただろうか?ファンの方々には少しでも納得してもらえたら幸いである。


僕がこのブログを始めた1つの大きな理由は、日本の日本人のためのJPOPや歌謡曲を誤解なく、遠い未来にまで伝えるためである。というのは壮大すぎるが、ひとつのコンセプトであり、目標である。
その上で、水樹奈々の持つ歌手としての才能はその日本人のためのJPOPを未来に誤解なく伝えることができるものだと僕は考えている。今の知名度と彼女の才能を正しい軌道に乗せれば、それは可能である。僕が知る限りの未来への歌謡曲の唯一の伝承者は水樹奈々なのである。
また、ロック的な楽曲を綺麗に力強く歌いこなせるところにも僕は可能性を感じている。夏フェスなどへの出演があれば、きっとオーディエンスの心を鷲掴みに出来るパフォーマンスができると思うし、新たなポジションを獲得することも出来るだろう。RIJFに出演を果たした坂本真綾の前例もある。

だから今後はアニソン風のアッパーチューンを歌っていく立ち位置は変えることなく、さらに聴き応えのあるような情感の深い歌謡曲やロックを彼女にはたくさん歌って欲しいと考えている。深愛に続くような彼女のニュースタンダードが欲しい。
それはもしかすると、来週リリースのアルバムに収録されるかもしれない。まだ聴いてみないと何とも言えないが。この新曲はちょっとおもしろかった。



というわけで、最期まで読んで頂きありがとうございました。