岸田文雄内閣の支持率、時事通信による最新調査で16・4%まで下落。
ここまで下がると、ワーストだった森元首相を更新するのではないか?
こくみんはカネとカルト教団との癒着に愛想もコソも尽き果てているのだ。
政治家とカネの問題は戦前からあり、政党政治の腐敗から軍部独走による天皇制ファシズムに傾斜した。
何度もかいているが、わたしが自民党のカネの問題をはじめて知ったのは1966年(昭和41年)である。
自民党は、与党になってから10年経っていた。
それで、危機をおぼえた佐藤栄作首相は解散に踏み切った。長期政権への布石だったといまならわかるが、甘く見ればいちおうのけじめはつけたといえる。
1968年、岸信介・児玉誉士夫・笹川良一ら巣鴨プリズントリオらが勝共連合(統一教会関連団体)結成。
同年、日本会議の前身、日本文化会議創設。小林秀雄が顧問。石原慎太郎・江藤淳らが会員、日本会議の要職に就いた杏林大学の田久保教授も入会。杏林医大で息を引き取ったハナ肇さんを看取ったのが、森元首相。
同年7月、参院総選挙で石原慎太郎・青島幸男・横山ノックらタレント候補大量当選。上記3人みな知事となる。川端康成の一高時代の友人、直木賞作家で毒舌和尚として人気博した今東光も当選。選挙対策部長川端康成。
同年10月、川端康成ノーベル文学賞受賞。講演のタイトル「美しい日本の私」。最終ノミネートまで至りながら落選した三島由紀夫、川端康成に猛烈嫉妬。ふたりの往復書簡半年途絶える。
同年、明治百年祭。
これらの史実は連動しており、雑誌「中央公論」に「レイテ戦記」を連載していた大岡昇平、小林秀雄から絶縁される。
全共闘学生が暴れていたのはたしかだが、保守サイドも動き活発、普通、1968年が戦後のピークとされるが、大岡は、野間宏・安岡章太郎との鼎談で、
「1968年から日本は道を踏み誤った」と語っている。実際、大岡昇平の年譜に、1968年は年の記載すらない。これが大岡昇平の批評眼の真骨頂。
ロッキード事件、グラマン事件、リクルート事件、佐川急便事件その他、これだけカネの問題が恒常化している先進国はないだろう。
あたりまえの話で、ある権力の統治期間は4年が限界である。それ以上続けば腐敗しないはずがない。
岸田文雄とは草野球チームのチームメイトだったことがあるが、たかだか11人か、12人のメンバーなのにキャプテンではなかった。
そういうひとが一国の宰相が務まるわけがなかろう。
小池百合子は日本会議の会員、ということはその思想・信条は統一教会と重なるものだろう。
有権者は史実こそデータベースであることをよく認識していただきたい。