企業はなぜコンプライアンスに過敏か?または小池百合子氏の節操のなさ | あずき年代記

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ブログの恥はかき捨てかな…

まずはじめに。


SNSやスポーツ新聞で、今回の都知事選を、


緑のナントカVS赤いナニガシ


と揶揄する向きがあるが、どちらに対しても非礼だろう。


ルッキズムはどこ行った?


わたしが小池氏をきらうのは胡散臭いからで、その胡散臭さは節操のなさから発している。


1992年ごろは細川護煕元首相が率いる日本新党、続いて小沢一郎氏の新進党、それから「痛みを伴う構造改革」の小泉純一郎元首相の自民党である。


「保守本流を自称していた安倍晋三元首相」が小池氏を警戒して距離を置いたのは当然といえる。


新進党時代は「いいとも」のテレホンショッキングに出演、小沢一郎氏を紹介するにあたり、次期首相とまで持ち上げていた。


このあたりの軌跡においては蓮舫氏にブレは見られない。うちの夫婦でも、そんな話はしている。


柄谷行人さんは大衆の抵抗の仕方を示唆している。


企業はプロレタリアートを働かせることはできる、しかし、ボイコットまでは強制できない、と。


70年代の新左翼における企業爆破は非合法だが、ボイコット=不買運動は合法である。


近年、企業のコンプライアンスが厳格になってきた一因はこれだな…と合点がいった。


テレビ局がそこに連動するわけだ。


松本某はやはりカムバックできまい。

しなくていいが。