わたしはなぜ古い男性作家ばかり好むのか?それは駄目だった兵隊が好きだから | あずき年代記

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あなたはなぜ古い男性作家ばかりよむのか?


と、よく訊かれる。

これは主に、日本の作家についてだろう。


その理由を少しく語る。


家父長制というのは明治時代から、つまり、はなから空中楼閣だったとおもう。


江戸落語を聴いていると、そのことがよくわかる。

たとえば侍でも赤鰯(あかいわし)なんて呼ばれる、武士道とは程遠いひとが登場する。


映画「碁盤斬り」の元ネタである落語「柳田格之進」のような、武士は食わねど高楊枝という立派なひとは少ない。第一、あの噺は講釈種だろう。勤王の志士たちなどでもも廓噺では野暮天に描かれている。


家父長制はマボロシなのだが、裏付けがないとひとびとが信仰してくれない。


そのマボロシの裏付けが、富国強兵の兵、すなわち徴兵制だった。


父よ、兄よ、弟よ、息子よ、あなたたちは偉かった…というわけだ。


が、病気になったり、要領が悪かったりする兵隊たちもいたので、わたしは駄目だった元兵隊たちの作品に惹かれるのである。


じぶんも兵隊に取られたらまず毎日制裁を受けること必至だからである。


大岡昇平、武田泰淳、梅崎春生、水上勉、安岡章太郎、田中小実昌、山口瞳、作家ではないけれど、水木しげるさんらは軍隊の足を引っ張る代表選手である。軍事教練でことごとくヘマを繰り返した北杜夫さんもここに括られよう。


三島由紀夫のような遅れてきた人工の兵隊、空襲にさえ遭ってない石原慎太郎などは観念が過剰に空回りしているから影響を被らなかった。


坂口安吾は、兵隊に取られなかったかわりに空襲を一種命がけの見せ物として楽しんでいたところが頼もしい。


敗戦から1964・東京五輪くらいまでが文学の季節なのは、敗戦に逆立する、内部の測定の充実を如実に示す皮肉な現象であり、その典型が駄目な元兵隊たちだった。彼らが右傾するはずがないのだ。


駄目な兵隊は俳優にもいた。


三船敏郎さんと丹羽哲郎さんだ。


どちらも態度がわるくてさんざんっぱら上官から殴られた口である。


三船さんは反抗的、丹羽さんは上官に対しても上から目線だったからである。それぞれ役柄とかぶりますな…


その丹羽さんをしごきにしごいていたのが打撃の神様にして巨人軍V9の大監督川上哲治さんというのが、よくできた史実である。


90年代、「新しい歴史教科書を創る会」というきなくさい団体が設立したとき、川上さんは、阿川弘之・佐和子父子、佐藤愛子さん、林真理子さんらと一緒に名を連ねている。


川上さんに一度も日本シリーズで勝てなかった西本幸雄監督は、その晩年、


「このくにはどんどんまた危険な方向に向かっているとおもうねえ」


と夜のニュース番組で警告していた。


三船敏郎・川上哲治・西本幸雄・安岡章太郎はみな大正9年(1920年)生まれである。


戦後の平和と繁栄によって男流作家が振るわなくなってきたのはよい兆候だとおもっている。


ドイツ在住42年の多和田葉子さんの作品は先日もよんだし、きのうも吉祥寺ジュンク堂で買った。


グローバルに越境しつづける21世紀作家である。