もうひとつの1975年ーアガサ・クリスティーと横溝正史 | あずき年代記

あずき年代記

ブログの恥はかき捨てかな…

1975年(昭和50年)。


戦後30年。


だからか、たしかエリザベス女王が来日、昭和天皇は米国に行き、アナハイムのディズニーランドで歓待されていた。


帰国後の記者会見で、戦争責任について問われると、

「私は、そういう文学方面のことはよくわからない」

と語った。責任がある、とも、ないとも言えなかっただろうが、高校3年のわたしは欺瞞を感じ取った。


出版社は、オイルショックの影響で不況が続き、各社、紙に気を遣いながら、サバイバルに知恵を絞っていた。


漫画に強かった講談社、小学館は有名漫画家たちの文庫本化に踏みきり、それで、つげ義春の旧作が文庫化、翌76年にかけて、第二次つげ義春ブームが起きた。つげさんは、これで700万の印税が入り、調布に公団住宅を購入した。


オイルショックの出版不況は海外でも起きており、グレアム・グリーンの「ヒューマン・ファクター」には

ロンドンの老舗書店が支店をポルノ専門書店に特化する苦悩が描かれている。


そういうころ、アガサ・クリスティーが、突如、名探偵エルキュール・ポワロ最後の事件を描いた「カーテン」の上梓を許可した。


クリスティーが余命を悟っていたことが大きいが、オイルショック後の不況によるところも無視できない。


「カーテン」はよんでいない。

が、ポワロが作品途中で死去、事件解決はどうなるのか?という興味で「カーテン」は莫迦売れ、当時よく足を運んだ四谷新道通りの中型書店「野原書店」の平積みの棚は、「カーテン」が幅と高さを利かせた。3年まえの72年は、「毛沢東語録」が氾濫していたのだが…


クリスティーは76年上半期に死去、クリスティー・ブームがおきた。ミステリーに疎いわたしでも「アクロイド殺し」「そしてだれもいなくなった」「オリエント急行殺人事件」「ABC殺人事件」をよんだ。トリックが勝ちすぎていると感じ、また坂口安吾への影響も想起した。


わが日本のミステリーブームというか、社会現象になったのは角川文庫から出た横溝正史の旧作復刊ラッシュである。


忘れられていた探偵小説作家横溝正史は、角川春樹の文庫本、ペーパーバックシフト路線にぴたりと嵌った。


春樹さんのご子息が横溝さんの旧作をよみ、


「なんでこんなおもしろい作家がいまよまれないんだろう?」


というひとことが横溝正史大量復刊計画に繋がったと春樹さんは語っていた。


亡父が敗戦直後の横溝作品のファンだったため、「獄門島」「悪魔が来たりて笛を吹く」の2冊はよんだ。


「獄門島」は傑作とおもったが、横溝さんの文章それ自体は稚拙に毒毒しいので閉口した。同様の感想を随筆家としての江国滋さんが批判にしていたのでわが意を得た気がした。


70年代の日本映画は東映の実録物・にっかつロマンポルノ(倒錯した文藝映画)・ATGの三本柱だったが、これらとも、また旧5社ともちがうかたちで角川は、横溝作品を映画化、76年の「犬神家の一族」は大ヒットしただけでなく、評価もされた。


おどろおどろしいが枕詞の横溝作品を、映像派の市川崑監督が、CM的インパクトをもたらす画の連続で、しかもオールスターキャストで撮りきったテクニックが勝因だったとおもうが、角川映画によるメディア・ミックスあるいはコンビナートによる宣伝は中身スカスカの大作邦画の悪しき淵源となった。


われながら異常という自覚はあるにせよ、1975年ごろなんて1週間くらい前とおなじように記憶鮮明、時がまったく失われてはいない。