「大岡昇平歴史小説集成」をよみおえている。
再読。
大岡昇平はかつて埴谷雄高との対談で、
「おれは判官贔屓なんだよ」
と語っていた。
この「歴史短篇小説集」で採りあげられているメンバーを見ると、たしかにそうである。
平将門、天誅組総裁・吉村寅太郎、高杉晋作、坂本龍馬、大鳥圭介ら。
敗軍の将か、または志を得ずに亡くなったひとたちばかりである。
だからといって感情移入はほとんどしていない。
冷静沈着に是々非々の筆致である。
高杉晋作と坂本龍馬はベストセラーを量産する歴史小説作家たちへの反撥が、執筆動機のひとつになっているとおもわれる。
むろんこのふたりを貶めているわけではない。
それはそれで歴史修正主義に傾くからである。
早世すると過大に英雄視する傾向を諫めているだけだ。
皮肉めくが、早世すると、ほんとに偉くなって守りに回り、汚れ仕事を引き受けないで済むという、かえって得な役回りにめぐまれるようである。
「高杉晋作」の篇で指摘されているのは、明治時代と現在は連続していると見なしているということだ。
近年の私もそう感じているが、大岡さんの指摘は具体的で核心に触れる見解を、切れ味鋭くことばにしている。
私のような漠然とした頼りない感覚などではない。
平将門を除いて対象人物が幕末に集中しているのは、こうした時間と社会構造の連続性に歪みを感じていたからだろう。
令和のいまは、いよいよ切迫してきたというべきか。
「姉小路暗殺」の一篇は、完全にミステリー。
姉小路公知(きんさと)という苛烈な攘夷主義の公卿が暗殺される。
下手人は逮捕されるが、取り調べ中に、「刀で自殺」してしまう。
ありえないような自殺であるが、公式発表がそうなのである。
そこで姉小路斬殺を示唆したのはだれなのか?という大岡探偵の推理がはじまる。
複数の候補者を挙げ、その可能性と不可能性とを吟味し、ある推論に到達する過程がスリリングだ。
つまりはるか後年に身を結ぶ「事件」の種が蒔かれているわけである。
大岡昇平はミステリーにも詳しく、フィリピンの捕虜収容所時代、米軍人に断って、アイリッシュの「幻の女」を英語の原書で読んでいるほどだった。
批判していたとはいえ、同い年の松本清張もマメに読んでいた、やれやれまた汁かけ飯の好きな叩き上げの刑事が探偵役か…とボヤきながら。
さて年は明けたが、早くもコロナ再拡大ー弱毒化の兆しなのかもしれないがー、地に鳴動の恐怖、空に飛翔体の威嚇と旧年と改まるところがない。
年のはじめに「今年こそいい年になるように」と願うのは1996年以来継続されている心持なのではないか。
願う気持が常套化とはね…。