ショーペンハウワーの長いエッセイ、「幸福について」すでに読了。
「読書について」よりマジメなのは、古今東西、幸福とはなにか?と自問自答しないにんげんはまずいないからだろう。
印象に刻まれたことを、以下に箇条書きする。
① 幸福とは粉飾された概念にすぎない。したがって、あまり苦痛を伴わず、まずまず不幸せではないとおもわれたら、それは幸福と考えるべきである。
② 反・反知性主義、つまり一定の精神世界を保つことが幸福に結びつく。
③ ②と関連したソロ活の勧め。
④ 反・強欲資本主義。欲動は不幸を招きやすい。
⑤ 反・ナショナリズム。国家しか矜りを持てないひとは個性のない証。
⑥ 若年期は詩が、老年期は哲学がフィットする。
まだあるが、おおむねこんなところであり、膝を打つ箇所が少なくなかった。
要するにいまの新自由主義に反撥する中高年たちに合っており、令和3年だった今年も版を新たにしている。光文社古典文庫版で、だが。
苦労人だったせいか、ショーペンハウワーは人生の転変とか無常とかいったことについても説く。
おやおやと私はおもう。
吉田兼好のようではないか。
その昔、だれかが「徒然草」はパスカルの「パンセ」と通じるものがあるというと、小林秀雄が噛みついた。
パスカルなんて問題じゃないというわけである。
が、そうだろうか?
賢人たちの考えることは民族的な差異がたしかにあったとしても、各民族の神話・伝説が大同小異だという視点に立てば、西も東もないことになりはしないだろうか?
そうしてこんなことは筆にしないだけで、柳田國男や折口信夫も重重承知だったとおもわれる。
小林秀雄とて本居宣長にだけ心酔していたのではないのである。
ショーペンハウワーは19世紀のひととしては長生きで、73年の生涯を全うしている。
しかもブレイクしたのは65歳ごろ。
だから哲学界の錦鯉(漫才コンビ)と言われている…
…はずがない。
いま、咄嗟に思いついたのであります。