ASAKATSU2020 Vol.3-99
仕事=幸福と健康
【幸福論5】
おはようございます☀
本日は6時起床、
ブログ投稿です✨
幸福論
CARL HILTY
1891年初版
名著からの
アウトプットシリーズです📕
宜しければご一読下さい🙇
彼等はすべて
客観的にいえばおそらく
間違っているかも
知れないが
仕事をしているのだ、
真実の有益な、
社会のためになくては
ならぬ仕事をしているので、
決して遊戯に
ふけっているのでは
ないのだ、
と考えているのである。
そればかりか、
彼等の中には、
このように不断の骨の折れる、
おそらくまた健康上も
あまりよくない
仕事をしながらも、
非常な高齢に達する者も
少なくない。
ところが一方、
なにも仕事をもたぬ
貴族的な放蕩者や
有閑夫人たち
現代社会の無用な、
主義としてなるべく
働くまいとする人種の、
つい手近な例をあげたのだが
そういった連中は、
たえず健康の修繕に
追われているのである。
今日の社会では
まず第一に必要なことは、
有益な仕事は、
例外なく、
すべての人々の
心身の健康のために、
従ってまた
彼等の幸福のために、
必要欠くべからざるもの
だという認識と経験とが
広く世に普及することである。
以上のことから
必然に次ぎのような
結論が出てくる。
すなわち、
怠惰を業とする者はもはや
優秀な「高い」
階級とは認められず、
その正体通りのもの、
つまり、
正しい処世の道を失った
精神的に不完全な、
不健康な人間と
みなすべきである。
こうした考え方が一度、
社会全体のゆるがぬ
確信の表現である風習となって
現われるならば、
そのとき初めて、
この地上にも、
より良い時代が
到来するであろう。
それまでは世界は、
一方の人たちの過大の労働と、
他方の人々の過小の働きの
ために悩むのである。
この両方は互いに
因果をなして
制約し合っているが、
しかし、その真実のところ、
より不幸であるかは
はなはだ疑問である。
ところで、
われわれのさらに
疑問とするところは、
この原則は、
人類の数千年来の経験に
基づくものであり、
また、
誰もが働いたり
働かなかったりして
毎日自分でそれを
ためしてみることが
できるし、
その上、
すべての宗教や哲学が
常に教えることなのに、
なぜそれが今なお
広くに行なわれないのか、
ということである。
たとえば、聖書を大いに
ありがたがっていながら、
聖書にはさほど
明らかに記されていない
死刑をしごく熱心に
弁護する一方、
聖書のきわめて
明白な命令にそむいて、
もっとも全然動かない
わけではないが、
せいぜい一日くらい働いて、
あとの六日は
貴夫人業である怠惰
のうちに日を送って、
不思議なほど平気でいられる
数千人の「貴夫人」たち
があるのはなぜだろうか。
こういうことになるのは、
おもに労働の分配と処理とが
適当でないからで、
そのためにはしばしば、
まったくの重荷となるのである。
そこで、われわれはいま
本論の主題にかえることになる。
さて、なんらかの仕事が
ぜひとも必要だというがよくできて、
しかし、やろうとすると
妙に故障が起こるが
それさえなければ、
喜んで仕事にかかりたい
という人たちのために、
いま初めて
ある教訓を与えることが
出来るのである。
仕事に対する
パラダイム転換
ですね
仕事=健康と幸福
この数式に
心から納得行く人は
少ないかもしれません
しかし、
原則だと思います
私の周りでも、
やはり仕事し続けてる人は
いくつになっても健康と
幸福を身に着けてます
生きながら死んでなく、
生きながら生きている
上杉鷹山時代の
米沢藩の武士階級は
生きながらに死んでました
上杉鷹山が付けた
心の火によって改革
が行われて、
武士階級が農業などを
やるようになったことで、
武士達は生きながらに
生きる存在となりました
本人達の幸福も
上がったとの事です
今も昔も、
選択肢が多いことが
幸せとは限りませんね
余裕があることが、
幸せとは限りませんね
本日も最高に創造的で、
ワクワクする一日に
しましょう!
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