調布には大きな撮影場が2つあった。あったと過去形にしたは、今はそれほど大きくないからだ。
調布は昔、東洋のハリウッドと呼ばれた事がある。日活撮影所と大映東京撮影所。それに付随する映画関係の会社が近くにある。
先に営業成績が悪くなり小さくなったのは大映だが、日活も業績が悪くなり、撮影所は縮小される。どちらも元の大きなスペースには大型マンションが建っている。
大映は撮影所の名前が取られ、現在は角川映画スタジオに名前を替えて、こじんまりしたスタジオだ。
まだ撮影所の名前がついいている頃、撮影所の大門には、写真の門扉が付いていた。
察しの良い方は判ると思うが、大映映画の看板映画だった市川雷蔵の眠狂四郎の円月殺法をモチーフにした門扉だ。今はもうないから、捨てられたか、それともスタジオ内に残っているのかは不明だ。
さすらいの子供の頃の中心主役俳優は長谷川一夫だが、その後大映を去る。そして中心になったが市川雷蔵で、その後勝新太郎が新境地を開いて座頭市で看板スターと双璧となる。どこまでも二枚目の市川雷蔵と泥臭い勝新太郎。しかし雷蔵は37歳の若さで昭和44年にガンで死去する。看板スターが消え、昭和46年には大映は倒産する。
市川雷蔵は大好きな俳優の一人で、155本の映画作品の殆どを見ている。市川雷蔵と言うと眠狂四郎と言われるが、さすらいは余り好きではない。コメディタッチの作品も多く、これも実に面白い。「初春狸御殿」とか「花くらべ狸道中」なんて面白い。シリアスなドラマから、長谷川伸の股旅もの、文芸作品まで幅広く演じている。
「忍びの者」「若親分」「陸軍中野学校」「眠狂四郎」などシリーズ物も多かったが、遺作となった「博徒一大 血祭リ不動」の鬼気迫る演技には涙さえ出る。勧めたい作品は山ほどあり書ききれない。
もう一人のさすらいの大好きなスター石原裕次郎だが、希しくも雷蔵と裕次郎の命日は同じ7月17日。
今年の命日には、出来れば雷蔵の墓参りに行きたいと思っていたが、今は身延山久遠寺に墓が移っているので行く事は出来ないだろう。