川口松太郎の思い | 武蔵野舟木組 2024

武蔵野舟木組 2024

               さすらい

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舞台の寿命   川口松太郎
 舟木一夫君の明治座公演出演も三回になった。
一年に一回と思っているが、その早さには驚く。三回とも共演したのは伊志井寛、光本幸子の両君で、舟木の公演にはなくてはならなぬ人になった。
 
 今度は昼に夏目漱石先生の「三四郎」をやる。名プランだと思う。副題に与次郎の青春とあるが、夏目先生のもので舞台へかかるのは坊ちゃんが第一で、その次が虞美人草だが、ずっと昔に先代猿之助(猿翁)が「吾輩は猫である」を上演したことがある。原作を離れて只の喜劇になってしまったのは惜しかった。「三四郎」が芝居になろうとは想像もしなかったが土井行夫君がどんな脚色をしてくれるか、甚だ楽しみである。
 
 夜は群司次郎正君の「新納鶴千代」をやる。原作は「侍ニッポン」という小説である。群司くんは大分前に文壇を去っているが、今に伝わる作品は「侍ニッポン」只一作で、他の作品は目につかなくなっている。この一作だけで筆を断った訳ではあるまいが、傑作の「侍ニッポン」を書く為にこの世に生まれ、書き終わるとさっさと作家生活をやめたのは甚だいさぎよい心地がする。
 
 舟木くんが三四郎と新納鶴千代の二作をやるプランは期待が持てる。
歌謡歌手の舞台出演は長つづきしないものであるが、舟木君は三回目であり、その前には大阪の新歌舞伎座へ出た事もあって息の長い人になるといえる。
 
 人気歌手の寿命の短さは定評があり、若いうちの仕事で年長けては困難になる。やはり舟木君にもそういう危機が訪れるのに決まっているが、舞台役者は六十になっても老いはしない。新派の水谷八重子は六十になったが、いまだに若き女性に扮して、その美しい舞台姿は昔のままである。
 
 願わくば舟木君が舞台を棄てる事なく、いよいよ精進を重ねて、人気者の寿命長かれと祈りたい。舟木君の客席を見ると若い女性が八割を占めている。舞台出演が重なるにつれて堅実なる観客層をも得られ、そういう俳優になって下さる事を是非望みたい。
 
     1969年(昭和44年)7月 舟木一夫七月特別公演 明治座 パンフレット寄稿文より
 
 
 
大阪新歌舞伎座での公演が始まる前に、この文を読んだ。
舟木さんご自身が、この時の川口松太郎氏のここでの言葉を、覚えているかどうかは別として、川口氏の思いや望みを叶えていることに、ある意味驚嘆と嬉しさを覚える。驚嘆と言うのは、川口松太郎氏側に立った見方であり、まさか古希を迎えるような歳まで、精力的に舞台の上で演じているとは思ってもおられないだろうからだ。
嬉しさは、当時の舟木さんを見て、川口さんが舟木さんに大きな期待を持たれていた事と、それを今でも全うしている現実を知っているからである。
 
ここでの川口さんの心の中には、まだまだ「舞台の出演は、人気歌謡歌手の座興」と感じていたのではなかろうか。確かに舟木さんを応援して下さっていた事は間違いないが、今の舟木一夫を想像出来るはずもなかっただろう。
 
この文を読んで、改めて舟木さんの軌跡を思い出し、今でも舞台で大活躍する舟木一夫の凄さに、驚かされるのである。
 
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