大峯修験と飯縄権現 | 秩父曼荼羅小屋通信 ~峯龍の求道日記~

秩父曼荼羅小屋通信 ~峯龍の求道日記~

修験道や武術などの修行を通じて、感じたことを気まぐれに記します。
秩父曼荼羅小屋での出来事や、イベント、講座の情報などをお便りします。
秩父曼荼羅小屋公式ホームページ(ご質問や講座申込みはこちらから)
https://chichibumandara.jimdofree.com/



おはようございます。
何時もご覧戴きありがとうございます。

さて、
本日は私の大峯修験との出会いにつきまして、
少しお話ししたいと思います。

私はプロフィールにも記したとおり、
信州飯縄山の山麓、
現在の長野県飯綱町で産まれました。
幼き頃より戸隠飯縄や善光寺を
遊び場として育ちまして、霊山や社寺は普段から
好んで出入りしておりました。

その後
生活の中心は東京になりましたが、
野山や社寺は常で、程なく始めた武道も修行は野山でと、子供ながらに何か感じておりまして
武道の自主トレのため毎週の様に
埼玉県の奥武蔵や秩父の山を歩いておりました。

今思えば、
この頃から山林修行を好んで
実践しておりました。(笑)

武道の指導者として全日本の選手達を
強化合宿に連れていっていたのも、
戸隠や秩父の山中でした。
心身鍛練修行、正に修験者でしたね。

そんななかで、ある時、観音行者だった母から
「高野山へ連れていって欲しい」
との希望を聞きまして、
高野山へ行くことになりました。

初めての高野山で受けた感覚が
その後も消えず、妻と二人で
高野山、熊野三山、吉野山と毎年歩きました。
そんな中、たまたま立ち寄った天川村洞川で
その後を左右する出会いが待っていたのです。

大峯山母公堂は
役行者の母上である白専女さんを祀る
旧女人結界のお堂ですが、
そんなことも知らず、霧雨の中、母公堂に
ふらふらと立ち寄りましたところ、
当時の堂守の青木さんから話しかけられ、
長々と話し込みました。

「こんな霧雨の中、どちらからいらしたの」
「東京からです」
「東京と云えば、高尾山て知ってるかね」
「知ってますよ。自宅から1時間ですかね」
「その高尾山て飯縄権現さん有名やろ」
「そうですね。大勢参拝されていますね。
でも、本当は長野県の飯縄山が本家なんですけどね」
「……実はな、私もいわれがようわかりませんが、
この大峯の母公堂にも飯縄権現さんが祀られておるんよ」
「実は私は飯縄で産まれたのです」
「……ほんまかいな‼️」

こんなやり取りから、
本堂に上がり飯縄権現さんを拝ませて戴き、
私もなぜ遠く離れた大峯の地に
飯縄権現さんが
祀られているのか興味が湧いてまいりました。

そんな話のなかで青木さんは今日の出会いを
大変不思議に感じられた様子で、

「これも、役行者さんのご縁に間違いないから、
ぜひとも大峯修験道をやりなさいよ」

と云われて私達夫婦を車に押し込め
現在の女人結界門まで車を走らせました。

あれから年月はかなり流れましたが、
飯縄権現さんのご縁から
私達夫婦は大峯修験道の行者として
埼玉県秩父に秩父曼荼羅小屋という
修験道場を開き、
毎年、大峯修行や戸隠飯縄修行へと
皆様を先達させて戴いております。

また、先先代堂守の青木さんとは、
現在も大変親しくお付き合いさせて戴いております。

大峯修験と飯縄権現さん。
私なりに幾つかの推察をしておりますが、
もうしばらく楽しみたいと思っております。
また考えや裏付けがまとまりましたら
どこかでお伝えしたいと思います。

「おまけ」

以前に天河大辨財天社の柿坂宮司さんと
お話しをしている時に
天川と戸隠飯縄の関係について
いろいろお話ししてくださいました。

様々な場所でも
そのお話しをされている様ですが、
天河大辨財天社の辨財天さんと
戸隠九頭龍社の
九頭辨財天さんが姉妹辨財天像ということで
現在も交流があります。
九頭辨財天さんをお祀りしている
戸隠中社前の久山館さんは、
秩父曼荼羅小屋が
戸隠飯縄修行の時に御世話になる宿坊でもあります。

天川大峯と戸隠飯縄が陰陽の関係なども
なかなか楽しいお話しです。

今後にご期待くださいませ‼️

合掌