こんにちは。
今回は前回記事「水田安美氏の国連演説を修正する」で論証したように、水田氏の国連演説の内容を聖書の教えに則った内容で拙者が書いてみようかと存じます。
以下、本文
今日、拙者は日本の若者を代表してここへ来ました。
拙者が伝えたいのは、日本は神に愛された民が建国した特別な出自を持つ国で、嘘に塗れた歴史観に終止符を打ちたいこと、そして皆さんと共に主イエス・キリストの再臨に備えて世界に散らばった失われた羊を探すために、力を合わせていきたいということを伝えるために日本からやってきました。
今から日本の出自を皆さんに伝えます。
まずは、日本の出自についてです。
簡単に言いますと、我々日本人の祖先は古代イスラエル民族です。古代イスラエル民族はかつて選民として、主なる神に寵愛されていた世界で唯一の民族でした。
しかし、古代イスラエル民族は頑なな民族で、主なる神に背いて異教の神に対する偶像崇拝を繰り返して、主なる神を怒らせてきました。
神の恩寵を無下にした罰として、古代イスラエル民族は当時の世界帝国だったアッシリアとバビロン、ローマ帝国により滅ぼされました。
そうして、イスラエルの十二部族は世界各地に離散して、本隊がたどり着いたのがイザヤ書に記録されている「東の海の島々」、即ち、皆さんがご存じの日本です。
次に、日本と古代イスラエルの文化の共通点についてです。
明治以前に建てられた神社の造りは律法で規定された幕屋と似ていますし、大阪の前方後円墳もマナの壺に似ています。祭りで使われる神輿は失われた聖櫃(アーク)と類似しております。このように、古代イスラエル民族は日本に痕跡を残しているのが分かります。
次に、日本の国歌と天皇制についてです。
国歌の君が代はこのように一見、天皇を賛美する歌で世界で最も歌詞が短い国歌の一つだと感じる歌です。
しかし、君が代をヘブライ語に訳すと、主なる神を賛美する歌と言われており、本来の日本人の信仰の象徴でもあります。
それは、「キリスト信仰」といって、創造主なる神、救い主イエス・キリストという存在が我らの祖先、アブラハム・イサク・ヤコブの神として、古代イスラエルのダビデ王と当時の古代イスラエル民族が信じて付き従ったことで、主なる神とダビデの約束に基づいて今の日本にある皇室制度が成り立っています。
それは「百二十六代」続いています。
明治維新と言う英米に唆された薩長の討幕派による国家転覆で、朝鮮人に乗っ取られたとはいえ、途切れずに現在の今上天皇の代に至るまで続いています。
そしてその史実は、少なくとも二千年近い歴史があることは、ほぼ確実です。
「統一王朝として、二千数百年存在する」ということを考えると、これだけ連綿と続いた国家があるのは、凄いことです。
形式的になりながらも、今に至るまで続いているのは「世界史のなかの奇跡」と言っている人もいます。
拙者はそれこそ、主なる神の憐れみによるものだと思います。
もう一つは、日本人の生き方と聖書の関係です。
旧約聖書のモーセ五書と呼ばれる律法の書からも、日本人の本来の「生き方」を学べます。
嘘をついてはいけない、勤勉に生きる、人に優しくするなどといったことが今では、お爺ちゃんやお婆ちゃんの口から二千年も語り継がれているのですが、これこそ神の律法と掟と戒め、主イエスの教えに由来するものが多いです。
なので、どんなことがあっても、日本人は長らくお互い譲り合って生きてきたのです。
このように、日本には「かつて主なる神に寵愛された特別な出自を持ち、統一王朝や日本人の生き方が二千数百年の長きに渡って現在まで大切にされてきたこと」ということは、本当に素晴らしいことで、これは「世界遺産に匹敵する」ことくらい、凄いことだと拙者は思います。
次に、戦争終結からすぐに平和な国となって復興して、一度も戦争をしたことがないことです。
第二次世界大戦の敗戦後、日本は一切の戦争を放棄して、平和主義の道を歩みました。
今現在、中東や阿弗利加の国々は戦火に包まれて、特にアフガニスタンやソマリアは戦争が終わった後も復興は遅れているのですが、日本は戦後僅か十数年余りで復興を成し遂げました。
世界の歴史上でこんなに早く復興して、経済大国に成長できたのは主なる神の憐れみだと思います。
次に、日本国憲法です。
日本国憲法は世界では類を見ない最も民主的且つ平和的な憲法と言えます。
主権在民と基本的人権の保障は勿論ですが、特に平和主義は世界の国々の憲法には見られない条文です。
日本国憲法の平和主義は一切の侵略戦争と海外の紛争の軍事介入を禁じる条項であり、これが世界中の憲法に規定されていれば、戦争は無かったと思えます。
このように、第二次世界大戦の終戦から八十年余りも平和を享受していられたのも、主なる神の憐れみだと改めて実感します。
こんな世界に誇れる平和憲法を壊すなんて、以ての外です。
そして最後に、白人による植民地支配からの解放、アジアやアフリカ諸国の独立に貢献したということです。
十五世紀末期のクリストファー・コロンブスの西インド諸島発見を皮切りに、白人は世界征服を始めました。
大航海時代ならぬ、大侵略時代です。
これ以降、欧州の白人は亜細亜・阿弗利加・亜米利加大陸を侵略して、先住民を虐殺して、五百年に渡る植民地支配を始めました。
彼らは旧約時代の古代イスラエル民族の異邦人との戦争と征服事業の故事を盾に、対外侵略戦争を繰り返してきました。
旧約時代は確かに、主なる神の御計画の範囲内で戦争は許可されていましたが、主イエス・キリストが来臨されてからはその限りでは無くなっています。
戦争はどちらにも正義は無いことは確かです。
日本は亜細亜を侵略して、亜細亜の人々を虐殺したと批判する人が多いですが、五百年間の大侵略時代で有色人種を虐殺してきた白人の植民地主義を批判しないのは何故でしょうか。
白人は高慢で残忍な民族だったのですが、それに引き換え、日本人は第二次世界大戦後も祖国に帰らず、戦いの現地に残ってその国の独立のために武器の使い方を教え、共に戦った人が多くいます。
何故だと思いますか。
それは、他国を侵略したいと思ってないからです。
先ほども述べた日本人の考え方のなかに「困っている人がいたら助けたい」という、思いがあるからです。
それがよくわかる「インドネシア独立戦争」を例に挙げます。
インドネシア方面の日本軍の指揮官だった今村均氏は、大東亜戦争の時に宗主国のオランダの圧政に苦しむインドネシアを解放して自由を与え、戦後に連合国による一方的な私刑とも言える戦犯裁判を受けた時も、「全ての責任は自分が負うから、部下は日本に帰せ」と主張して、自らは十年の有期刑判決を受けました。
また、後にオランダからも告発されて、裁判で死刑を求刑された時、インドネシアのオランダからの独立戦争の指導者のスカルノ氏が、獄中の今村氏を助けようとしても、「厚意には大変感謝するが、奪回には応じない」と潔く断り、その後もインドネシアの子供を日本に招いて教育したり、日本の戦災孤児の施設を作ろうと各自治体に掛け合ったりと、武士道精神を体現した方でした。
今村均氏は、聖書を戦争中も手放さずに持っており、神の律法もご存じだったと思います。
彼は異邦人であっても分け隔てなく助け、孤児を憐れんで手を差し伸べ、自分の命よりも他人を優先した等、隣人愛を実践した方であり、そのため部下だけでなく、インドネシア人からも尊敬されました。
また、彼は豪州による裁判での有罪判決後に巣鴨拘置所で服役した時、「部下が南方の劣悪な環境で苦しんでいる時に自分だけ東京で収監されるのは耐えられない。南方で服役したい」とダグラス・マッカーサー氏に直訴したため、マッカーサー氏が、「初めて武士道精神の持ち主に会った」と称賛したという話も残されています。
このように、当時の日本人は同じ亜細亜民族として、白人以外の民族だけが、肌の色が違うだけで虐待されるのが許せず、黙って見てられなかったのです。
そうした、隣人愛と正義感に基づく武士道精神を日本人は持っていたのです。
そして、その亜細亜独立に感化された阿弗利加も独立への動きに変わっていきました。
そんな日本を白人の植民地支配の歴史を持つ国々の人は尊敬しています。
拙者は、それがすべてだと思います。
なので、日本という聖書と最も関係の深い国にもっと誇りを持ってもいいのです。
この国自体が「世界の誇り」であり、「世界遺産そのもの」そう思っていいはずであります。
これを知るだけでも日本に生まれた日本人が「自虐史観」で、自分の国が嫌いという考え方を変えなければならないということが、はっきり分かってくるはずです。
他にも数えきれないくらい、日本文化の素晴らしいところがたくさんあります。
今、日本は誇りと自信を失いかけています。
なぜなら日本は悪い国だと他の国に言われ、また学校の教員に、そう教えられているからです。
拙者自身も、とある方から教えてもらっていた日本の歴史と学校とテレビから教わった歴史があまりにも違っていたことから歴史の勉強を始めました。
そして自信を無くした子供たちは、いじめや犯罪に走ります。
拙者自身も、学生時代にいじめられた経験があります。
日本にはあまりにも自分のことが嫌いな子供が多すぎます。
しかし、日本には素晴らしい文化や思想、伝統、そして、古代イスラエルの名残がたくさんあります。
日本国内でその声を挙げても小さな声にしかなりません。
なので、皆さん一人ひとりが主なる神に立ち帰るように、神の律法と主イエス・キリストの教えを学び直して下さい。
主の御言葉が成就するように祈ってください。
その思いが、日本の子供たちの未来を救います。
日本の人々の勇気と力になります。
誇りと自信に繋がります。
もう、日本の自分の国が嫌いという考え方「自虐史観」に、聖書の教えは悪い宗教だと言う考え方に、この戦後八十年の今、終止符を打ちたいのです。
日本が再び誇りと自信を取り戻すことはもちろん、日本だけではなく世界中に散らばった失われた羊が救いに与れるように、我々で主に栄光を帰し、主の御言葉が成就する未来を拙者は祈ります。
この演説が主の御計画の一助になることを願います。
主イエス・キリストの御名によって、お祈りします。
アーメン。