宇宙の秩序が音になった偉大な作品『マタイ受難曲』 | 音を見つめる日々…

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人類の至宝ともいえるバッハのマタイ受難曲1727411日、ライプツィヒの聖トーマス教会において初演された。

バッハの死後、この曲はどうゆうわけか約100年間忘れられていたが、1829311日、フェリックス・メンデルスゾーンによって歴史的な復活上演がなされ、バッハの再評価につながっていった。

その経緯が面白い!

1823年、メンデルスゾーンが14才の時にお祖母さんからもらったクリスマスプレゼントは、「マタイ受難曲」の自筆稿の写本。彼とこの曲との関わりは、この時に始まる。この自筆稿は、彼の先生であったベルリンのジングアカデミーの会長、カール・フリードリッヒ・ツェルターが所有していたもので、ジングアカデミーの図書室に、バッハの自筆稿を収集していたものの中の一つだったのだ。

この復活上演は2時間ぐらいにいくつかのカットが伴われ、古楽器はメンデルスゾーン時代の一般的に使用されていた楽器に変換され、より現代に近いオーケストラの編成によって演奏された。

1829年にベルリンで行われた歴史的な復活上演は、前売り券が数時間のうちに売り切れてしまうという大人気だったようである。尚、メンデルスゾーン自身は1841年に、この曲がバッハによって初演された場所であるライプツィッヒの聖トーマス教会で再演を行っている。もしメンデルスゾーンによる発見が無かったら、我々はこのバッハの大作に出会えていなかったのかもしれない。

 

さて、マタイ受難曲は2つの部分で構成されている。第1部は序言(第1曲)に始まり、第2部は前置(第36曲)によって導入される。序言の後には6つの、前置の後には9つのセクションが続く。バッハはその劇的な側面にコラールを導入し短い場面に細分している。そのコラールはそれぞれの場面に関連をもたらすために、古くから良く知られているコラールが引用されていて大変興味深い。これらのコラールは作品を構成するだけでなく、全体を結びつける役割も担っているのだ。こうして聴き手は中世の十字架の道行きの伝統に従って、受難の行列へと導かれるのである。

 

マタイ受難曲のテクストには次に述べる3つの素材が用いられている。

一つは新約聖書の福音書の聖句であり、この全体に貫かれた忠実な聖書の内容がマタイ受難曲の揺るぎない原動力となっている。

二つ目はソリストに歌われるアリアの歌詞である。

これは神学者ハインリヒ・ミュラー(1631-1675)の受難の説教に影響を受けたライプツィヒの法律家で詩人でもあったクリスティアン・フリードリヒ・ヘンリーキ(1700-1764)、通称ピカンダーによる自由詩である。

そしてバッハは三つ目の素材として、福音史家(エヴァンゲリスト)を立て、語り手としてマタイ受難曲の重要な進行役を任せている。福音史家の聖句は歴史的視点、抒情的な視点、劇的な視点から内容がたくみに表現されており、作品全体を非常に見通しの良いものにしている。

そして、先に述べたように伝統的な旋律のコラールが物語の細部描写と感情をのぞかせ、時代を超越して、人々の心に強く訴えかけてくる。

 

19世紀の偉大な指揮者、ハンス・フォン・ビューローは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ集を〝新約聖書〟、バッハの平均律を〝旧約聖書〟と呼んだ。

モーツァルトが天上の世界そのものを表現したとすれば、バッハの音楽は人間が神の存在を確信し、祈りつつその御姿を見上げるキリスト者の信仰に満ちた姿を現しているものと言えるだろう。

しかしその音楽は決して感情に走らず、完全で節度と秩序あふれる普遍的言語によっている。

普遍的言語とは、何もない「無」から始まった宇宙で、無から有をつくり出すメカニズムのこと。すなわち現代物理学でいう無秩序(混沌)から秩序を生み出す宇宙の根源的な性質だと考えられている。

バッハの音楽は人類の文化遺産であると同時に、宇宙の普遍的言語としての数学的構造が豊富に含まれていると言われている。

宇宙のすべての事象は数学的法則に基づいていて、音楽はそれを知覚し得る最も明確な現象に他ならない。宇宙には流れる音楽、宇宙を貫く音楽が存在し、宇宙の森羅万象は音楽的であるという考え方の起源は、紀元前のアリストテレスやプラトン、さらには、ピタゴラスにまでさかのぼることができるが、バッハはそれらすべてを総括したような完璧さで音楽の数学的側面を追求したのだ。

バッハが、まるでこじつけのような数学にこだわればこだわるほど、音楽が不思議な光を帯びてくるのである。

 

1977年に太陽系とその外惑星探査を目的とした宇宙探査機ボイジャー1号と2号が打ち上げられた際にはバッハの曲(平均律クラヴィア曲集、第1巻第1番のプレリュード)の入った録音盤が探査機に搭載された。

普遍的言語(数学と音楽)を宇宙における共通言語と認識し、地球から未知の知的生命体へのメッセージにふさわしいものとして、バッハの音楽は選ばれたのだった。

いつの日か、地球外の生物がこのバッハの音楽を聴く時が来るのだろうか?なんともロマン溢れる話である。

 

(フロイデコーア・ヨコハマのマタイ公演プログラム原稿)