ありがとうアリゾナ!終わりと始まり。 | "学者への道" in Arizona

ありがとうアリゾナ!終わりと始まり。

4年間続けたこのブログには、

学者になることを夢見た日本の学部生が、

アリゾナ大学大学院の留学生活を通し、

夢に向かって奮闘した軌跡が詰ってます。



そして、"学者への道"in Arizonaは、本日の記事をもって終了します。



。。。

。。。

。。。しかーし!

たとえこのブログが終わっても、

あきらめなければ、夢は死ぬまで終わりません!!!



えー、前置きが長くなりましたが、

続編ブログ

"学者への道" in California Berkeley(リンクはこちら)

がいよいよスタートします。



この秋からカリフォルニア州のバークレーのPhDプログラムに編入することになったので、

「....in Arizona」ではブログのタイトル上都合が悪く、

いい機会なので気分転換にブログもお引っ越ししようというのが本音です。



ブログの引っ越しは苦じゃないんですが、

実際の引っ越しは苦でした。゚(T^T)゚。



まず、24ft(7.3メートル)の一番でかいトラックをレンタル。

"学者への道" in Arizona

大学院生4人+ポスドク1人、計5人分の荷物を3日がかりでつめこみます。

ほとんどの人がフィールド調査でいないのでもう大変。

アホみたいにでかいトラックの運転に任命されたのはわたくし、Dr.T。

だから調子にのってバックしてみたら、電線を2本ぶった切るという伝説を残しました(笑)

(そもそも普通免許でこれを運転していい意味がわからない)



そして、3日間(7am~4pm)かけて600匹以上のネズミさんを輸送用ケージへ!

"学者への道" in Arizona

ネズミを捕まえて、輸送用のケージに移すのは比較的簡単ですが、

ラベルを貼ったり、テープで固定したり、ネズミ運送業者と連絡したり、

もう最後の方はふらふらでした。



無事ネズミさんたちを車に乗せ、

"学者への道" in Arizona

業者が一晩でアリゾナからバークレー(13時間ぐらい)へ運びます。

ちなみにこれ、途方も無いぐらいお金かかってます。

でもおかげで一匹のネズミも死ぬこと無く、みな無事にバークレーに着きました。



あとは、お世話になった人たちへあいさつ周り/飲み歩き。

"学者への道" in Arizona

自分の絵を引き取ってくれたSushi Yukariレストラン。

なかなか火のつかないBBQお別れ会を開いてくれたYさん。

ツーソン最終日の夜にテスト勉強を教えてくれというHちゃん。

ボーリング、テニス、爬虫類ウォッチング、ソファーで4泊。。。

最後に時間をつくってくれたみなさん、ありがとう。



そして、最後のネズミを積み終えた当日の夜7時、ツーソン出発!

"学者への道" in Arizona

暗い夜のフリーウェー、

70マイル(112km/h)を超えると車体が揺れだし、

走り出して20分ですでに眠気と格闘(-_\)(/_-)三( ゚Д゚)

それでもなんとか4時間走り、アリゾナ州とカリフォルニア州の境のモーテルで就寝。

次の日も一人で10時間以上走って、なんとか夜の8時頃にはバークレーに無事到着。

その日は友達の家に泊まり、翌日にすべての荷物を下ろし終え、トラック返却。



荷物を下ろし終えた疲労がピークの夜8時すぎ、なんとか海で夕日が見たいという一心で、チャリを走らす。

"学者への道" in Arizona

この写真の場所は新しい我が家からチャリで5分!

夏でも外はパーカーがないとかなり涼しく、

街はオシャレでにぎわい、どこも緑で溢れ、

湿気が多いからか土や花のいい匂いが立ちこめる、

海の見える街。



魔女の宅急便でも使われた松任谷由実のルージュの伝言なんて聞くと雰囲気でます(笑)

実際にバークレーのキャンパスには時計台もあり魔女宅の舞台と似ていて、

ジブリファンの自分にとっては夢のような街。




ながーーーい運転の間と海辺で一人デートしている時に思ったことは、

アリゾナで過ごしたこの4年間でどれだけ成長したかということ。



4年前は、Subwayというサンドイッチ屋さん(パンや具材を好きに選べる)で注文がよくわからないから店員のいいなりだったのに、

今では、テニスコートのねーちゃんに予約したコートが予約されていないことを自分のせいにされても英語でキレることができる。



4年前は、英語の日本語なまり、英語の文法ミス、英語の使い方のミスでアメリカ人を笑わせることはできたけど、

今では、That's what she said jokes、mom jokes、などアメリカンジョークで正々堂々笑いを狙える。



4年前は、電話の英語が聞き取れず、インターネットつなげるだけでまる一日つかってたのに、

今では、気づくと買い物、住所変更、ビザの書類受け取り、アパート契約、学科の人へのあいさつを一日でこなしていた。



4年前は、何かわからないことがあると、10人ぐらにひたすら聞いて、そのうち1人ぐらい聞き取れるだろう作戦をしてたけど、

今では、1人に自分が理解するまで聞くことができる。



4年前は、ちょっと大事なメールをするたびに研究室の人に文法チェックをしてもらってたけど、

今では、ネイティブの学生の英語を添削/採点したり、アメリカ研究者の英語の言い回しや文章を添削してる。



4年前は、父親からお金を借りて、学費、生活費を払ってもらうという、ただのボンボンとやってることは変わらない親のスネかじりだったけど、

今では、授業を手伝うTAをすることで、学費、家賃、食費などギリギリだけど生活費を自分で稼いでる。



4年前は、一人で海外に行くってだけでめっちゃ不安で緊張してたけど、

今では、世界のどこに放り出されても生きて行く自信がある。



4年前は、苦楽を共にした同年代の部活やサークル、研究室仲間しか信頼できる仲間はできないと思ってたけど、

今では、世界中に、あらゆる年齢の、心から信頼できる、教授、航空自衛隊員、ゲイ、料理人、野球選手、オリンピックランナー、プロゴルファー、エンジニア、OL、サラリーマン、研究者、医学生、弁護士、カメラマン、教師、主婦、バーテンダー、空手家、ネーチャーガイド、宇宙関係者、舞台俳優、特別国家公務員(衆議院法制局で働くHさんあなたです)などすげー仲間がたくさんいる。

"学者への道" in Arizona

自分を育ててくれた、

アリゾナで出会った仲間、

日本で出会った仲間、

うちのじーちゃん、ばあちゃんたち、

そして両親と弟が、

自分が生きてきた中で、

一番の自慢



この人たちがいなかったらここまで戦えなかったし、

この人たちがいるから歯を食いしばってでも前に進める。

本当にありがとう



科学をつかって、この世界をもっと理解して、

大好きな人たちとその子供たちがずっと幸せに暮らせる世界をつくりたい。

きれいごとに聞こえるけど、

これが子供のころからの夢。



そのためにはやっぱり学者になって、大自然に飛び出して、

この世界がどんなルールでつくりあげられているのか

一つでも解明したい。





最後の最後まで、アツ苦しいブログを読んでもらいありがとうございました(^▽^;)

そんな読者の皆さんのおかげか、先日、在日アメリカ大使館からたいそうな手紙をいただき、

今年の9月から一年間「留学中の先輩の声」という199,000人が観覧する留学ブログの公式ブロガーの一人になることが決まりました。



自分に何ができるのかわかりませんが、

日本の外にはいろんな常識があって、

いろんな人たちがいて、

いろんな生き方があるんだ、

ってことを伝えられたらと思ってます。



長くなりましたが、これからも続編ブログ、"学者への道" in California Berkeleyでこんな楽観主義の若僧がどこまで行けるのか見届けてやってくださいm(_ _)m


(これからも"学者への道" in Arizonaへのコメント/メッセージは返すつもりです。)