むろあつみの勝手に応援!

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今回は、房州切子の技術を唯一人、継承している 中村俊一さん、間もなく47歳です。

 

 

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◆東京でデザイン関係の仕事

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長狭高校を卒業後、多摩美術大学に進むために東京に出ました。

子どもの頃から「人を驚かせたい」という思いがあって、デザインでそれができるのではないかと考えたからです。

身近なコミュニケーションのツールとして、広告に興味があり、大学で映像の勉強もして「人にものを伝える仕事をしたい」、という思いが高まりました。

 

吉本興業をはじめ広告代理店などで映像製作やTV、WEBの仕事をしていたのですが、結婚して子どもができると、館山の海や山がある自然の中で子育てしたい!と思いUターンしました。

40歳の頃です。

東京では約20年暮らしました。

 

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◆技を継ぎ唯一の房州切子職人へ

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館山に戻って最初の頃は、デザインなどの仕事も並行して行いながら、弟が継いでいた渚の中華料理店「正龍」を手伝ったり、ガソリンスタンドをやっている親せきのGS設備の仕事を手伝ったりしていました。

 

昔、家が雑貨屋をしていて、盆提灯や花火、結納や冠婚葬祭関連のものを扱っていて、房州切子にも見覚えがありました。

当時、この房州切子の職人は唯一人、国分にいる行貝實さんだけでした。

高齢なのでやめようかと思っていると知り、こんなにきれいなものがなくなるのはもったいないと思い、教えて欲しい、と行貝さんを訪ねました。

 

「もう高齢で教える体力もない」と断られたのですが、「遊びに来なさい」と言ってもらったので日曜日に通い、何かしら手伝うようになりました。

一年かけて通っているうちに「やってみるか?」と言ってもらえて、そこから修業が始まりました。

 

3年かけて全部の工程を教えてもらい、2017年に初めて一人で200個作ったのを見届けて、行貝さんは92歳で亡くなりました。

俊一さんは43歳になっていました。

 

▲房州切子。右は今年開発したペット用

 

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◆房州切子とは

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房州切子は、飾り窓の形に切り抜いた紙を立方体の木枠に貼り、造花などで彩った「つり灯籠」です。

スギの木枠や障子紙を使用し、飾りの造花以外、全て手作業で行います。木枠にするスギの製材から紙の細工、組み立てと約40にも及ぶ工程があります。

金と白の2色で一対ですが、近年は1色のみの発注も増えていて、新盆を迎える家の仏壇や墓参りで飾られ、亡くなった人を送り出す道しるべとして使われます。

 

盆提灯の代表的な切子灯籠は、一般的には布製の大きなもので、弔うのに使い始めたのは鎌倉時代位からだったと言います。安房地域では、盆棚に使えるようにコンパクトに進化してきました。また燃やすものなので、紙と木で作られます。

 

飾り細工の技法を活かして、火をともして灯りとして使う「ランプシェイド」など、他の用途開発も試みています。

 

 

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◆年間のサイクル

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昔は、新盆の時に親せきが買ってあげて送るものでしたが、今は仏具屋がセットで新盆の中に入れるので、仏具屋さんからの発注が5月頃に入ります。

今年は、去年の実績を元に400個分の材料を作り始めました。

 

9月頃から、来年の分の材料作りを始めますが、「正龍」の手伝いとの掛け持ちです。

5月から7月にかけては、房州切子の組立て作業を集中して行い、お盆明けからはまた正龍の助っ人に、というサイクルです。

 

地元に帰ってみて、「広告」の難しさを感じていると言います。本人が宣伝しても、居ないところで噂話が間違って伝わってしまうようところがあるからです。一方、「もの」は説得力があるので、伝え方としても良いと感じているそうです。

 

▲製作中の様子

 

 

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◆インタビューを終えて

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伝統を守ってコツコツと地道な作業を続けられている姿には感動を覚えます。

取材後、記事をまとめるのに苦労している間に、房日新聞の取材に先を越されてしまいました!

▲6月14日房日新聞記事

 

▼房州切子製造卸

有限会社那古屋開発

館山市那古1104-1

0470―27―4731

 

▼動画もあります

https://youtu.be/5sZ1uMNO8k4

 

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今回は、運送業を中心に様々な事業を展開する 昭和運送興業で社長を務める安田憲史さん、46歳です。

 

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◆がむしゃらな営業をしていた若い頃

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長狭高校ではバスケ部に入り、途中から合唱部にも入って楽しく過ごしていました。

卒業後、八王子の専門学校に2年間通い、車の整備士の資格も取りました。

トヨタ系の就職試験を受けましたが、当時は景気が悪かったので、家で商売をやっている人は辞退してくれと言われました。

 

そこで自社に入社して、最初は現場に出て全国を回りました。

隣に元JFEがあり、船のエンジンを全国に届ける仕事です。

 

もともと昭和運送興業は、祖父の時に富士ディーゼルの下請をしていたのですが、その後、同社が倒産し、人の助けで頂いた牛乳と新聞の仕事で首の皮一枚で繋がっていた時期もありました。

 

父の代になり、トレーラーを導入して牛の餌の配達が広がりました。

入社したのはその頃だったので、餌ばかり運んでいましたが、入社したからには会社を大きくしたい、と考えていました。

 

現場にいるとなかなか営業などもできませんが、26歳の頃に専務になり、現場を離れたので、運送の仕事を増やそうと一所懸命探しました。

 

「トラック100台」を目指して、どんどん台数を増やし、人を増やし、借金も増えました。

目先の仕事を取ることばかり考えていたので、利益率の低い仕事も多く、一方、運転手は五角形に走り(5か所回ってやっと戻れる)、くたくたで事故も多く、保険も跳ね上がり、信用も下がっていく。

採算も取れないし、管理職も運転手も、人が育っていませんでした。

 

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◆循環酪農の仕組み作りへ

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そんな中、原油高も重なり、このままではダメだと方向転換しました。

トラック100台まであと少しのところでしたが、質を高めるために顧客を精査し、現在は50台弱まで縮小しました。

 

その頃、父が雪印種苗から、牛の餌の販売代理店契約を取り付けました。

餌代と運送費で全体のコストダウンを図ろうとしましたが、結局、市場との争いになります。

そこで、TMR(Total Mixed Ration、完全混合飼料)の生産に乗り出しました。

 

牛の餌は配合飼料に牧草やビタミンなどを混ぜますが、畜産農家がそれぞれの材料について値段交渉をしたり、配送もバラバラなので、大変な労力とコストがかかります。

そこで、餌のことは当社に任せてもらい、畜産農家さんは餌のことを考える時間を省いて牛の様子をみる時間を増やし、搾乳作業に専念できるようにすることを提案していきました。

餌代は多少高くなりますが、事故率が減って受胎率が上がり、トータルでみた経営の安定化を図ろうとする仕組みです。

 

 

さらに株式会社スノー・フィード・サービスを設立し、20軒ほどの地域の酪農家(NFC和田)、雪印種苗株式会社と共にコントラクター(農作業受注)事業も始めました。

単なる農作業受注にとどまらず、耕作放棄地の集約と効果的な活用、受託圃場で栽培した飼料のサイレージ化、為替相場に左右されない自給飼料の安定供給、自給飼料の品質向上を図り、牛舎から回収した大量の糞尿を活用する循環酪農を目指しています。

 

 

さらに、仔牛を預かって出産前まで育てる育成牧場も始めました(スノー・フィード中三原ファーム)。こどものころから良い餌を与えて体を作り、成牛になってもしっかり餌を食い込める牛にすることで、酪農家の餌を食わせる負担を減らす狙いです。

 

 

その中から、乳牛の雌牛と黒毛和種の雄牛の交雑種を「里見伏姫牛」としてブランド化して、肉牛の販売も始めました。

霜降りで柔らかい肉質や味わいの肉牛です。

 

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◆安房最大の牧場「神余ファーム」

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自社の生き残りと、酪農業の高齢化・担い手不足の対策としてこうした仕組み作りをしてきましたが、離農を防ぐことはできても、延命処置でしかないと考えています。

 

酪農家が24時間365日働き借金を抱えて生活する状況を変えていかないと担い手も増えません。企業として牧場運営をすべきと考え、酪農家2名と獣医師と共に4人で出資して設立したのが株式会社SO-upです。

酪農発症の地を次世代に残したいと、総事業費20億円をかけて神余地区に安房最大の牧場を作りました。

最新機器を導入して、搾乳量の増加を実現しています。

 

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◆夢や想いを形に

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今、昭和運送興業グループとして150人ほど働いていて、30~40歳の若手もたくさんいます。

 

経営理念として、「想いをカタチに 夢をカタチに/幸せ創造企業であり続けること/カッコよく! タシカに! チカラ強く!」と掲げていて、やりたい人がやりたいことをできる環境を作ることを目指しています。

 

例えば、グループの中でちょっと毛色の異なる「小規模保育事業部」ほしぞらの丘。

これは、他社の後輩女性のグチを聞いていたところ、どうもその会社自体がおかしいと思い、酒の席で「それなら自分で作ってしまえ」と言ったところ、本当に千葉市の補助金を取ってきたので始めたものです。

 

 

会社全体としては、まだまだ女性が少ないので、女性が働きやすい、入りやすいイメージを作りたいと考えています。労働者に性別は関係ないし、女性がいると男性もやる気パワーがアップするから、と言います。

男性の仕事と思われがちな整備工場やトラックドライバーの仕事でも、女性が生き生きと働いています。新卒や外国人研修生から特定技能エンジニア、そして障害者雇用まで働ける環境も整え、常に改善しています。

 

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◆インタビューを終えて

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ホームページや名刺を見ても、色々な事業が並んでいますが(書ききれなかった事業もまだまだあります!)、運送業から関係のできた酪農業の課題を解決する形で事業を拡大してきています。

将来的に、安房全体で地域課題を解決するグループにしていきたい、という安田さんの今後の活躍も楽しみです。

 

 

▼昭和運送興業株式会社

館山市湊493

0470-23-2341

 

 

▼無印良品「ローカルニッポン房総」の記事にも詳しいです。

https://localnippon.muji.com/2893/

 

▼高校生の就職を支援するサイト

 

 

取材記事をまとめていた時に、地元房日新聞に、紹介記事が連載されました!

 

 

 

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今回は、館山駅近くの老舗のサルビア珈琲の2代目店主である 鈴木将仁さん、48歳です。

 

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◆“人の多いところ”への憧れ

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安房高校を卒業した後、日本社会体育専門学校に進学しました。

とにかく人の多いところに行きたい、という憧れがあり、色々なものをみたい、色々な文化に触れたい、そして親の呪縛から解き放たれて1人で暮らしてみたいという理由で。

大学だと長いし、ずっと硬式テニスをやっていたので社会体育の専門学校を選びました。

 

今じゃなきゃできないことをやりたいとテニスとアルバイトに明け暮れていました。

車にも乗りたくて、親が反対しましたが内緒で買ってずっと乗っていました。

 

卒業後は東京の飲食店で働きました。

最初は紹介してもらったバリバリのフレンチのお店で8か月。

ただ、これからの喫茶店はパスタやピザだろうと思い、自分で探したイタリアンのお店で約2年間、働きました。

 

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◆2代目としてお店を継いで

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サルビア珈琲は、君津から移住してきた父親が、これから伸びていく場所だと考えて立ち上げたお店です。

大手企業から購入していた珈琲が美味しくなかったので、焙煎機を買って自家焙煎を始め試行錯誤してきたそうです。

 

 

将仁さんは長男なので、親の希望を叶えたいという気持ちで店を継ぐことを考えていました。

(弟さんはサルビア犬猫病院を経営)

東京のお店で基本的なことをある程度覚えた頃、大学に通っていた同級生達も館山に戻ってきていたので、そろそろかなと思いお店を継ぐことにしました。

珈琲の勉強は、それまで蓄積された店の技術を学びながら、自分で調べたり輸入業者に聞いたり、毎日疑問をつぶして分からないことを知る努力を続けてきました。

 

 

今の売上は、飲食よりも豆販売が上回っていて、ここは将仁さんが延ばした分野だそうです。あとはお食事メニューを増やしたり。

 

 

 

また、「カフェ」ではなく「喫茶店」にこだわっています。

時代により流行は変わりますが、いずれまた戻ってくるので、流行に流されるのではなく、自分が良いと思うこと、やれることをひたすら続けていくという理念で経営しています。

その意味で、ライバルも仲間もない、各店が特色を出して、珈琲を飲む人が増えれば良い、と考えています。

 

▼サルビア犬猫病院HP

http://salvia-ahp.com/

 

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◆家族経営を続けるということ

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母親は引退し、父親と将仁さんご夫婦、そして今、息子さんもお店で修行しています。

あとはパートさんが数人。

 

個人事業の最低ラインは、家族3世代が生活していける収入があることと考え、それを目標にしています。

“循環していく仕組みを作ること”が2代目の役割と考えています。

ずっと続けることに勝るものはありません。

売り上げが急激に増えすぎても、家族の労働での上限を超えてもダメ。対応しようとすると倒産のリスクがあると思っています。

 

生活も、家族3世代で暮らしています。

子や親の面倒を皆が少しずつやれば経済的だし、我慢も必要ですがちょっとずつ腹をくくって、それが循環のコツと考えています。

 

教育もそうですが、子どもへの夢の見せ方が違うのではないかと感じています。

誰もがデスクワーク(ホワイトカラー)を目指すことが前提になっているけれど、ラインに乗れる人はわずか。だからそうでなかった人は、自分のことだけで精一杯になってしまう。

肉体労働とデスクワークのバランスを取るのが大切と考えています。

まずはじめに、地域の子ども達全員にITの技術や知識を身につけさせて、皆が覚えた上で後から職業を選択させる。そうすれば、例えば農業だって従来とは違う「スマート農業」等の道も開けてくる。田舎ならではの(例えばごく少人数でも)学校のモデルケースを作ってはどうか、といった教育論にまで話が広がりました。(市政運営にも!)

 

 

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◆インタビューを終えて

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将仁さんは、NPO法人おせっ会の役員もされているので、移住の問題にも一家言あります。

引っ越して半年もすればお互い様。一周回れば地元民。そういう気持ちで「みんなが地球人」と思ってお互いに上手く付き合っていければ良い、という発言もあり、一見クールなようで温かな人柄を感じました。

 

 

▼珈琲館サルビア本店

館山市北条2576

0470-23-2341

https://salvia-coffee.com/

https://www.facebook.com/SalviaCoffee

 

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今回は、釣具屋SOUTH ENDを経営する傍ら、オリジナルのギター・エフェクターを製造している 遠藤修さん、55歳です。

 

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◆ギターも釣具も、オリジナルにこだわる

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八幡の線路沿いにある遠藤さんのお店には、釣具とエレキギターの部品が所狭しと並んでいます。

「ギターと釣具?」と思いますが、意外と客層が重なるようで(音楽をやっている人に釣り好きが多いとのこと)、自分のやれることをどんどんやっていたら、こういうお店になっていたそうです。

 

▲店内の様子

 

いずれにも共通しているのは「オリジナル」なハンドメイドにこだわっていること。

 

特に、ギターのエフェクター(*)はマニアックな商品を創っています。

市販品と比べると値段も3倍くらい高くなります。

著名なプロの方からのオーダーメイドも請け負っていて、業界では「知る人ぞ知る」存在になっています。

 

*注:「エフェクター」とは、エレキギターの音に様々な効果を与える機械

 

▲雑誌 エフェクター

 

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◆30歳までに独立したい!

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神明町生まれ。北条小、三中(現・館山中)、館山総合高校に通いました。

バレー部にも所属していましたが、中学校の頃からギターを始めて、高校時代は友達とバンドを組んだりして、勉強もせずギターしか弾いていなかった…そうです。

 

高校卒業後、楽器屋をやりたくてギター・ルシアー(*)を養成する専門学校に入りました。

ここの2期生同期とは今でもOB会で繋がっています。

 

*ルシアーとは、弦楽器作家のこと。「ルシアーもの」などという場合は、個人製作家の楽器を指すことが多いそうです。(ネット情報より)

 

その後、ギターメーカーのイー・エス・ピー(*)に勤務しました。

ここではギターを作ったりメンテナンス等をしたり、ステージ前の調整をしたりしました。

 

▼勤めていたギターメーカー「株式会社イー・エス・ピー」

https://espguitars.jp/company/outline/

 

漠然と30歳までに何か自分で事業をやりたかったのですが、音楽、楽器作り、アウトドア…自分の持つモノ、その時に出来る事はなんだろう?と思いながら館山に戻り、平日は実家の運送業を手伝って、その後釣具店をオープン。

当初は運送業から帰ってきた後と休日にお店を開けるという二足の草鞋状態で開業…その後、軌道に乗ることにより本業としました。

 

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◆釣具、釣船にも工夫を凝らして

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店内には、自作の釣具や釣竿の数々が並んでいます。

ルアー(疑似餌)は、主にバーンズ(*)という福井のメーカーと共同開発しています。

 

▼バーンズFBページ

https://www.facebook.com/BURNS-Limited-186157631472513/

 

亡き釣り仲間がハンドメイドで作成販売していた幻のルアーが欲しいという人たちがいて、手に入らないためCADで型を取って3Dプリンターでモックアップを作成、それを元に型を作り量産…と言う手法で少量でも誤差の少ない量産方法を模索しました。

どんな市場でも、マニアックな少数派は必ずいるので、「こういうものが欲しかった」と言ってもらうようなものを提供することに価値を見出して、大量生産のモノとは差別化することにより価値を見出すことに注視して製品開発をしているようです。

 

 

 

また、遠藤さんの作る竿は世界で一本だけのオリジナル竿。

マニアックな要求に応えるように長さ、持ち手の太さ、対象魚により釣り方も変わるため、それの特化した操作性、細かい部分まで大量生産では出来ないオリジナルのアイデアを盛り込んであります。

 

釣りをしない人でもわかりやすいその一つとして竿の飾り巻きがあります。

一本一本糸を重ねて模様を付けていき鮮やかな色彩の竿になってますが、先端に行くほど細くなる竿に糸を巻いて模様を作っていく非常に細かな作業だろうということが想像できます。

 

釣船もチャーター専門でやっていますが、“朝早く集合して、あらかじめ船長が決めた魚を半日ずっと狙う”といった一般的なやり方とは異なり、その日、その時間によってベストと思われる異なる旬の魚をお客さんに提案して楽しんでいただくと言うやり方…。.

これだと道具の準備は大変ですが、楽しみが広がります。

沖縄や海外遠征で自身が経験した方法等を参考にしているのですが、そこでは例えば朝一で釣りをして日が昇ったら泳いだりジャングルクルーズをしたり、ガイド仲間が色々な遊び方を提案していました。

釣船は「サービス業」なので、釣果だけでなく「ワイワイ仲間同士どう楽しく船遊びをして時間を過ごしてもらうか」についてもっと皆で真剣に考えていければ、と考えています。

また地元料理店と連携して釣った魚を食して楽しむ…そんな楽しみ方もありだと思います。

 

地元を盛り上げる、盛り上げたいと言うアイディアは色々ありますが、「ブランディング」は地域が一体となって取り組まないと上手くいかないと思います。

 

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◆20年続けた釣り大会

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約20年前から、冨浦でTEPPATSU DOLPHIN FESTIVALという釣り大会を企画・継続していましたが、19回目にコロナで延期となっています。

金谷~冨浦にかけて15人乗りくらいの船6艇を出してもらい、スタッフ入れて100人くらいのこの大会は、地道に草の根で続いています。

 

 

スタッフはボランティアでインストラクターが各船に乗船、初めての方も安心して参加でき、ユーザーサイドに立った目線の大会になっています。

参加者のほとんどの方がリピーターであり、また勝ち負けと言うよりは季節の風物詩的な大会になっており、一緒の船に乗った人がサポートし合ったり、他の人の釣り方を客観的にみたりして楽しんでもらっています。

中には初めてのシイラ釣りがこの大会で、参加者の皆さんに応援してもらい初シイラをゲット…などと言うエピソードもあるそうです。

 

主催者は場の提供に徹し、お客様が作り上げている大会。

スタッフも毎回楽しみに参加するので、これだけ長く続いているんだと思います。

 

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◆サウンド・プロデュースの仕事が拡大

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釣具屋を始めてから、以前、勤めていた時の音楽仲間などや付き合いのあったプロのミュージシャンからの依頼を受けて、当初は趣味的にエフェクターを創っていましたが、クオリティが高く評価されプロと一緒に創り上げる「サウンド・プロデュース」の仕事に広がり、現在でもプロミュージシャンの方達を中心とした客層で好評を博しています。

 

▲プロのミュージシャンが使っている様子が掲載された雑誌

 

その後、3.11震災後から六本木のお店(*)が遠藤さんの作るエフェクターを一般の方にも販売させて欲しいと言ってくれて、このお店とコラボで創って販売するようになり、現在では一般のお店でも取り扱われるようになりました。

 

▼六本木「東京エフェクター」

https://tokyo-effector.jp/

 

エフェクターの販売は、プロユースの一点ものが中心となっており、一般向けの販売は基本的に販売店にて執り行ってます。

 

 

▼遠藤さんのSound wave Labのページ

http://www.sound-wave-lab.com/about_us/top.html

https://www.facebook.com/SOUND-WAVE-LAB-186272244799954/

 

▲バンド

 

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◆インタビューを終えて

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商品やサービスに付加価値をつけることの重要性や、地域でブランド力を上げること、海を活かしたビジネスのアイディア等、話は尽きません。

遠藤さんが広く見聞してきた他所の事例や知見を活用して、地域活性化に繋げることができれば、と思います。

 

皆さんも、示唆に富むお話を聞きに、お店を訪ねてみてはいかがでしょうか。

 

▼SOUTH END

館山市八幡637-9

0470-23-8827

http://www.southend.sakura.ne.jp/

http://sound-wave-lab.com/

 

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今回は、鯖節を製造している吉田仁一郎さん76歳と、勇二さん45歳の親子です。

 

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◆鯖漁、鯖節加工の歴史

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吉田商店は、仁一郎さんが三代目で、次男の勇二さんと共に鯖節・鰹節を製造しています。

大正末期に布良で創業し、先代の正一郎さんが今の宮城に店を移転したそうです。

 

戦時中は磯根に潜れなかったため、アワビやサザエなどが豊富で、アワビを中華用に加工したりしていましたが、次第に資源が枯渇し、鯖節に転換しました。

昭和30~40年代の最盛期には、安房地域に鯖漁船は大小あわせて70~80隻、鯖節製造者は推測で50~60軒ほどありましたが、今では鯖漁船は冨浦の第一安房丸1隻、鯖節屋は8軒にまで減っています。

原料である鯖の減少と後継者不足によるものだそうです。

 

長男の智明さんが跡を継ぐつもりで東京農業大学に行きましたが、サラリーマンもしてみたいとアサヒ飲料に就職したところ、ヒット商品を開発したり活躍するようになりました。一方、弟の勇二さんは日本大学で土木の勉強をしていましたが、超就職氷河期で思うような仕事につけず、兄の代わりに家業を継ぐことにしました。

小さい頃から見慣れていたので、特に違和感はなかったそうです。

 

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◆江戸時代からの伝統の「房州節」製造方法

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吉田商店では、江戸時代から続く伝統技法「手火山式」(薪をたいてその煙で燻す昔ながらの製法)を守り、全て手作業で行います。

 

鯖の仕入れは漁期の1~6月。

仕入れた鯖はいったん冷蔵庫に入れられ、翌朝、頭と内臓を取り除きます。

(これらは肥料として再利用されます)

釜で40~50分ほど茹でた後、乾燥させます。

この乾燥は、薪を炊いた上にセイロを8段重ねて、1時間半おきに入れ替えます。

1日4時間半、最低3日間はこれを行います。

その後、倉庫で1~2か月カビ付けをして水分やうまみを凝縮させます。

10月頃まで、少なくとも月1回は天日干しをして仕上げます。

 

 

▼職人技の動画が観られます

https://www.youtube.com/watch?v=kuT8kkxGtU8

 

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◆房州節、作業や経営の裏側

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鯖節・鰹節は丁寧に保管すれば10年はもつそうです!

昔、海軍がいざという時の非常食として携帯していたと言います。

 

今、吉田商店では原料で年間30トン程度の生産ですし、自然相手の仕事でもあり、人を雇うことは難しく家族経営です。

また、年のうち60日は朝2~3時頃起きて仕込みを始めるという厳しい仕事でもあります。

漁のない10月からは、道具の手入れなどに費やします。

 

世界的な健康志向により、海外では小さい魚まで使われるようになっていて、原料入手に苦慮しています。

鰹節・鯖節の生産は、鹿児島、高知、和歌山、静岡などにもあり、房州が北限です。

 

薪の材料として、以前は桜だけでしたが今は日持ちの良いマテバシイを主に神余地区から仕入れています。この面でも地産地消です。

 

販売は、年に1度、千倉で共販会が行われ競りにかけられます。

参加する売り手は7軒で20~25トン、買い手はほとんどが東京の問屋さんです。

 

小売りは大々的にはやっていませんが、個人で電話注文を受けて発送したり、お店に買いに来る人には少量でも販売してくれます。

また、ふるさと納税の返礼品としても、注文が入ったりします。

 

▼ふるさと納税返礼品

https://www.furusato-tax.jp/product/detail/12205/741363

 

 

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◆インタビューを終えて

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手間暇かけて丁寧に作られた鯖節は「房州鯖節」としてブランド化されて、和食のプロが指名買いする房総の名品となっています。

量産ができないため、年々、希少性が増しています。

こうした伝統が続いて欲しいと思いますが、そのためには鯖漁の方からもっと盛り返せるように考えていかないといけないですね。

 

 

▼吉田商店

館山市宮城280

0470-23-3444

Email:yamasyo@awa.or.jp

 

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 今回は、真言宗智山派「塩蔵寺」の4代目となる副住職の渡辺宥智(渡辺智)さん、32歳。

 

 

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◆20歳まで格闘技に明け暮れて 

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幼い頃から”やんちゃ“で、同じ宗派のご住職が師匠の極真空手道場に、5歳から通っていました。 

小5の時には国際免許の黒帯をいただきました。

 

さらにキックボクシングもやったりしていて、高校ではラグビーでもやろうかと考えていたところ、中3夏にボクシング体験に誘われました。

そこで、千葉未来高校(現・鴨川令徳高校)からボクシング特待生に誘われて、即答しました。 

 

高1の時に痛めていた膝の手術をし、その遅れを取り戻したかったため、通学時間を練習にあてたいと、寮に入れてもらいました。 

ボクシングだけしか記憶にないような生活でした。

当時、千葉総体、国体が鴨川の体育館で行われることになっていて、地元から出られる選手を育成しようと作られたボクシング部でした。

 

その頃の千葉県の高校では7階級中5階級で全国チャンピオンとなるなどとても強い時期でした。   

 

その後、東洋大学から推薦をもらって入学し、そこでもボクシングに明け暮れていました。  

 

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◆20歳で一転、寺の世界へ 

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その頃まで、寺の手伝いはバイト代目当てにやったり、多少の修行もやってはいましたが、妹が2人いるのでどちらかが婿を取って継いでもらえばいいと、自分で後を継ぐことは全く考えていませんでした。 

ところが20歳の時、先輩の不祥事が起こり、東洋大学ボクシング部が廃部の危機になりました。

練習や対外試合もできない状態が続き、その後、1か月練習しただけで出た試合で下級生に負けたことで、意欲が削がれてしまいした。

 

心にぽっかりあいた穴を埋めるように、2年生の夏休みに本山(京都の智積院)に1か月の修行に参加し、将来を考えました。

このまま格闘技で食べていけるわけでもないだろう。修行に参加していた同級生たちと一生、切磋琢磨してやっていきたい、という気持ちが芽生え、寺に戻って後を継ぐ決心をしました。 

 

お盆が終わり、「ボクシングを辞める」と住職(父)に電話をすると、自分で決めたことなら、とすんなり受け入れてもらい、大学も辞めることにしました。

 

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◆お寺でボクシング道場を開く

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21歳の時、巣鴨にある大正大学に入学して仏教のことなど一から勉強しました。

この大学は、真言宗智山派・豊山派、天台宗、浄土宗の宗立大学でもともと僧侶を育てるために設立されましたが、今は文学部や心理学部もある総合大学です。

 

週末は館山に帰って法事等寺の手伝いをしたり、夜は巣鴨のジムで総合格闘技のトレーニングもやっていました。

お寺を継ぐことになった時、何か自分にできることはと住職にも相談して、「心・技・体」を鍛錬できる格闘技を子ども達に教えることにしました。

毎週火曜日と金曜日の夕方4時から、小学生~高校生まで15人程が通ってきます。

 (コロナ禍で中止の時期もあり) 

女性でも、ダイエットや体を鍛えるために、気軽に体験して欲しいとボクササイズの門戸も開いています。

 

こうしたことをするのは、「寺離れ」に大きな危機感を感じているからです。

 

1200年も続いている歴史のある仕事というのは日本でも少ないですが、古きよきものを残しつつ新しいものを取り入れないとお寺も存続できません。

昔の寺子屋のように、寺に親しんでもらって、「お寺に行って良かった」と気づきの場になりたいと思っています。

 

写経も月1回行っていて、心と体を鍛えられるように、との思いです。

 

全国の智山派の「智山青年連合会」の事務局員になり、色々と勉強したり刺激を頂いたりしています。 

他のお寺では幼稚園の経営をしたりお寺の境内でスポーツトレーニングをしたり、組み合わせ的にアンバランスなことをやってみるのが面白いです。

 

また、房総半島台風の際には、各地の僧侶100人程のボランティアが富崎に来てくれたり、智山派と災害協定を結んでいる石井食品(ミートボール、スープ等)が災害セットの非常食を寄附してくれたりしました。

寺離れが加速する中、お墓を守ることにも選択肢を提示しています。

4件の寺を管理しているので、それぞれが役割分担することで、通常のお墓を買ってお骨を入れるだけでなく、納骨堂や樹木葬にも対応しています。

 

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◆お知らせ:安房国札観音霊場巡り 

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安房の観音霊場の御開帳が3月25日から4月25日まで行われます。 

通常、丑(うし)歳に本御開帳が行われますが、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、1年延期となりました。 (*)

 

*令和4年3月の予定も、再度延期となりました。

(3月7日ホームページ発表)

 

 『観音菩薩は、あまねく人々の苦しみの声を聴いて三十三の姿に変身し、救いの手を差し伸べる菩薩さまで、広く「観音様」として親しまれてきました。   安房国札観音霊場巡礼は、鎌倉時代の貞永元年(1232年)に疾病の流行や飢餓など、世情の惨憺(さんたん)たる有様に心を痛めた安房国の高僧たちが、地元の観音様を巡り、厨子の扉を開いて御詠歌を奉納し、疾病終息を祈願したことが始まりといわれています。   観音巡礼は平安時代中頃から始まり、修験者や修行者が諸国の霊場を巡っていましたが、江戸時代に入ると平穏な時代が続き、街道が整備されたこともあり、庶民による巡礼も盛んに行われるようになりました。』 

 

(以上、安房国札観音霊場巡りHPより抜粋)

  https://awa-junrei.jp/  

 


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◆インタビューを終えて 

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「お寺離れ」に強い危機感を持ち、どうすれば寺に親しみを持ってもらえるか、自分らしいお寺の在り方を模索している様子をいつも熱く語ってくれます。 

昔の寺子屋のような存在を目指す、と言われているので、気軽に訪ねてみてはいかがでしょうか。 

先ずはボクササイズの体験とか写経体験で関わってみるのもお勧めです。   

 

▼塩蔵寺 

館山市北条1124 

0470-22-1040   

 

▼塩蔵寺公式LINE

 

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今回は、南房総市千倉で、地元のカレンデュラ(=きんせんか)を使ったリラクゼーションサロン「デルフィーナ」を経営されている 高倉かつ江さん、62歳。

南房総市が生産量日本一のきんせんかで地域おこしを、と活動しています。

 

 

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◆独立するまで

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かつ江さんは、千倉町平舘生まれ。

千倉中学、安房南高の時には卓球をしていましたが、とっても大人しく人見知りの子どもだったそうです。

高校卒業後は、保育専門学院に通って保育士の資格を取り、乳児院で働きました。

友人の紹介で結婚して、その仕事は2年で辞めました。

 

夫の転勤で関西に10年間暮らした後、千葉市に引越し、検見川の鍼灸整骨院で受付の仕事をしたりしていました。

43歳になる頃、夫から離婚を切り出され、3人の子どもを抱えて、養うために必死で働きました。

整骨院の受付の仕事を10年勤めたところで、理事長の都合で閉鎖されてしまい、その雇われ院長が市原に異動したのでそこで受付を1年やりました。

 

手に職をつければ定年なく働けると考えて、NHKの通信講座を使って介護福祉士の資格を取ったりしました。

その頃、足裏マッサージ(リフレクソロジー)が流行っていて、整骨院で働きながら西千葉まで通って英国式リフレクソロジーとヘッドスパとフェイシャルの資格を取りました。

 

そして、開業セミナーを受けたりしているうち、自分でやってみたくなり、46歳の時に千葉市でリフレクソロジーのサロンを開業しました。

 

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◆カレンデュラに出逢うまでの紆余曲折

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集客は、チラシをポスティングしたり、地域誌に広告を出したりしました。

近所の人や、以前の整骨院の方が来てくれることもありましたが、家賃を稼ぐのが精いっぱいくらいで、食べていくために夜は工場や弁当屋でアルバイトをしていました。

 

半年くらいすると、以前の整骨院の患者さんが白浜のホテルに業者として入り、エステの人が辞めたからと声をかけてくれました。

47歳の時です。

それから約半年は、午前中に千葉のサロン、午後3時~11時まで白浜のホテルと、千葉と白浜を毎日往復していました。

その頃、一番下の子どもは高校生だったはずですが、食事などどのような生活をしていたのか忙しすぎて記憶がありません。

 

白浜のホテルには通算、10年通い、1万人を超える人たちのケアをさせて頂きました。

途中、東北の震災でホテルが一時休業となった時もあり、ホテルだけに頼れないと、千倉にアパートを借り移り住み、自宅でもサロンを始めました。

さらに、いくつかのホテルを掛け持ちしましたが、多い時で施術者8人登録してもらって業務委託の形で行っていました。

ホテルのエステはボディケアが7割、残りがフェイシャルやアロマで、その頃にはリフレクソロジーはずいぶん下火になっていました。

 

53歳の時には子宮頸がんになりましたが、切除だと1か月休まないといけないので、下からとる円錐切除にしてもらい、2泊3日の入院で1週間だけ休み仕事に復帰しました。

それくらい、とにかくがむしゃらに働いていました。

 

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◆カレンデュラ(きんせんか)との出逢いと商品化

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千倉に戻ってきて2年くらいして、地元のもので何かできないか?と考えるようになりました。

 

和田のなむらさんで海藻の入浴剤を売っていたことからヒントを得て、カジメのエキスを作ってもらい、蜂人舎さんの無農薬のはちみつと粘土で「海藻パック」を作ってみました。

美白やシミに効果がみられましたが、はがす時にボロボロになり始末しにくいことから1年で止めました。

 

49歳の時、ホテルでハーブの本を読んでいた時に「ポットマリーゴールド」というのが目に留まりました。

日本名きんせんか、学名カレンデュラです。

 

 

オレンジ色のキク科の植物で、日本では仏花として知られていますが、抗酸化作用や肌の再生機能があり、使い方としてはサフランの代替だったりお菓子やデザートで食べられるというものでした。

 

これはいいな、と思っていたら、南房総市のきんせんか生産量は日本一だということが分かりました。

それなら美容や健康に使わないともったいないと思い、製品化を考え始めました。

 

その頃、ネットで調べてもきんせんかの使い方について書かれているのは1ページくらいしかありませんでした。

生の花をオイルに浸け込んでみましたが、かびてしまいます。

実家の母にプランターで無農薬のきんせんかを栽培してもらって天日干ししてもやはりだめ。

 

そんな時、どこかで「きんせんかを使ったアイスクリーム」を見つけました。

調べてみると千倉の石井米店でした。そこから食用花を作っている「南総エコロジー」に出逢い、ドライ花びらを仕入れてアーモンドオイルに漬け込み「きんせんかオイル」を手作りできました。

50歳の時です。

ただ、大量には作れないので、サロンのオプションとして使っていました。

 

一方、朝夷商工会で中小企業の販促助成金があると聞いて、オイルの試供品を作ったりパンフを作るのに使えると思い、以前のホテルのお客様に化粧品の製造・販売会社の社長さんがいたのを思い出し、工場を紹介してくれるようお願いしました。

そして東京の会社に委託して商品化することができたのです。

 

 

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◆カレンデュラ(きんせんか)を広めたい

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きんせんかの良さを知ってもらうため、自分で作ってもらうワークショップを開いています。

カンデュラオイルやみつろう作り、化粧水、入浴剤、手ごね石鹸など、枇杷倶楽部で月2回(コロナ禍では月1回)行ってきました。集客はSNSです。

 

 

また、食用の商品としては、フラワードレッシングやフルーツソース、クッキーなども商品化していて、南房総名品づくりグランプリの審査員賞を受賞したりもしています。

 

 

 

きんせんかを使った商品開発と、地域ぐるみで花農家も飲食店も宿泊施設にも効果効能、使用方法を広め、地域産業のひとつになれるように、活動を通して地域おこしをしたいと、「カレンデュラプラザ」という団体も立ち上げています。

http://delfinataka.com/calendulaplaza/index.html。

 

現在、朝夷商工会で女性部長も務めていて、ここでもきんせんかの推進をしています。

昔から薬用植物として広く知られていた経緯があり、消化器系や胃腸の障害、皮膚炎や湿疹の症状に用いられていました。地元の人達にももっともっと知ってもらいたいときんせんかの普及に力を入れています。

 

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◆インタビューを終えて

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離婚後に(子どものことを考えて)旧姓に戻さなかったのがかえって動きやすかった、というので理由を聞くと、田舎ではきんせんかというと仏様に飾る花というイメージが強く、どこそこの誰が変なことをやっている、みたいに言われてしまうこともあるからだそうです。

高倉姓で移住者のように思われていたので、そういうことを気にせずにきんせんかの普及活動ができる、と。

既成概念を超えて新しいことにチャレンジすることが、受け入れられやすい社会になるといいなぁと切に思います。

 

3人の子育ての記憶がないというくらい必死で働いてこられたことをお聞きして、それが今のかつ江さんの強さと優しさに繋がっていると感じました。

節目になると出逢いがあって何とかやってこれた、と言いますが、一所懸命な方には必ず素晴らしい出逢いがあるのだと私も実感しています。

 

 

▼デルフィーナ

http://delfinataka.com/

080-6518-8755

 

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今回は、館山の刃物専門店&フェアトレードの田中惣一商店、代表の 田中明美さん、68歳。

 

 

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◆先代が行商から始めたお店

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ご両親は福井出身で、柏市で金物屋をやっていた叔父に父が弟子入りして修行した後、独立することになりました。

 

親方が出ていない場所を探すため、内房線に乗って房州までやってきました。

雪が降らなくて一年中仕事ができる、海もあるし、畑もあるので金物も使うだろう、という考えで館山に到着しました。

 

初めの頃、父は商人宿に泊まり、背中に柳行李を背負って、1枚の地図を頼りに1軒1軒、行商に回りました。

 

鎌や包丁などの商品を宿に置いておかなくてはならないので、信用できる宿かどうかは、玄関の靴が揃っているかで判断したそうです。

 

言葉も違う、よそ者が来たということで、石を投げられることもありましたが、「田中さんの刃物は値はちょっと高いけどよく切れる」と喜んでもらえるようになり、また一つ一つお客様の要望に応えることで徐々に商売が拡大していきました。

 

1951年創業、1963年に今の店舗兼自宅を構えることができました。

 

 

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◆お店を継いで、ご主人とのこと

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明美さんは、父が胃の手術で1年間、働けなくなったため、安房高校を卒業した後、大学進学をあきらめて新宿の鈴屋に就職しました。おしゃれが大好きだったからです。

 

2年間勤めましたが、42才の母親が倒れ46才で亡くなりました。

家を継がなくちゃいけないと館山に戻ってきて、お店を手伝うようになりました。

 

農機具屋さんに勤めている良い人がいる、とお客様に紹介されて結婚しました。

父、惣一さんとご主人が農家回りなどの外商を担当し、明美さんが店番をして手伝っていました。

 

お店には、オリジナル商品がたくさんあります。

 

お客様からのニーズを聞いて職人さん達に伝えて改良を重ね、使い勝手にもこだわっています。

例えば、食用菜花の収穫に使う「菜花摘み用爪」を開発したところ、沖縄からモロヘイヤ摘みに使うという注文が入ったりしました。

また妹さんがカーネーション農家に嫁いだため細かい要望を聞き、細くて長くて軽い「カーネーション鋏」も開発しました。

 

お客様へのおもてなしや、末永いお付き合いを大切にしています。

上質な道具を長く使ってもらいたいと、ご主人が「包丁・鎌研ぎ教室」を始めました。

明美さんもこれを続けて今まで延べ500人が参加しました。

「自分で研げるともっと楽しい」と言ってもらえると続けて良かったなぁと思います。

 

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◆フェアトレードへの思い

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具合の悪い父をやっと老人ホームに入れることができたその夏に、今度は64歳の夫が調子が悪いと訴えたので、病院で検査をすると「末期がんで手術もできない状態」と言われました。

その5分後に、老人ホームから電話で父が亡くなったとの連絡があり、頭が真っ白になりました。

 

それから明美さんが事業継承をしつつ、3週間に1度、夫と千葉のがんセンターに7か月通いました。

夫は最後に10日入院しただけで、皆さんにお礼も言えたことは良かったと思っています。

 

今は、明美さんが一人でお店を守っていますが、イベント等をやる時には県北から息子さんが手伝いに来てくれたりします。

 

そしてお店には、金物類以外にも、「フェアトレード商品」と呼ばれるものが所狭しと並んでいます。

 

明美さんがフェアトレードのことを知ったきっかけは、館山に戻ってママ友からもらったチョコレートが凄く美味しかったことです。(そのチョコがフェアトレード商品でした)

 

それから、フェアトレードの勉強会や、年2回の展示会に参加したりして、この仕組みや背景に関する理解が深まりました。

自分はお店から離れられないけれども、お店でフェアトレード商品を扱うことで、世界中の人が幸せになる仕組みに地元に居ながら貢献できる、と思って積極的に取り組むようになりました。

 

 

 

フェアトレードの取り組みは、持続可能な開発目標を掲げるSDGsにも通じると感じていて、ビーチマネーショップ(*)にも登録するなど、様々なチャレンジに広がっています。

 

<注:ビーチマネーショップとは>

ビーチクリーンをして、ついでにビーチグラス(ビーチマネー)を拾い、それをお店に持っていくと色々なサービスを受けられます。ビーチマネーが使えるお店にはステッカーが貼ってあります。

 

▼詳しくは以下のHPより

https://beachmoney.jp/

 

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注:フェアトレードとは?

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フェアトレード(=公平・公正な貿易)とは、開発途上国の原料や製品を適正な価格で継続的に購入することにより、立場の弱い開発途上国の生産者や労働者の生活改善と自立を目指す「貿易のしくみ」のことです。

 

途上国で生産された日用品や食料品が、驚くほど安い価格で販売されていることがありますが、生産国ではその安さを生み出すため、正当な対価が生産者に支払われなかったり、生産性を上げるために必要以上の農薬が使用され環境が破壊されたり、生産する人の健康に害を及ぼしたりといった事態が起こっています。

 

生産者が美味しくて品質の良いものを作り続けていくためには、生産者の労働環境や生活水準が保証され、また自然環境にもやさしい配慮がなされる持続可能な取引のサイクルを作っていくことが重要です。

 

▼詳細は以下のHPより

https://www.fairtrade-jp.org/

 

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◆インタビューを終えて

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高級な刃物や農具等と、フェアトレードやオーガニックの生活雑貨等、ちょっと不思議な組み合わせに見えますが、いずれも共通しているのは本当にいいものだけをこだわって揃えているところです。

 

「館山大好き」という明美さんが今は「館山市をフェアトレードタウンに」という運動に一所懸命取り組んでいます。色々な情報をお持ちですので、ちょっとお話を聞きに出かけてみませんか。

 

 

▼田中惣一商店

https://more-tanaka.com/

館山市湊417-5

TEL 0470-22-2088

定休日 不定休

営業時間 8:00~18:00

 

 

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今回は、南房総市の山奥にある炭火焼きと山海料理の『隠れ屋敷 典膳』 の店主、山本剣さん、今年49歳。

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◆典膳の原点は「うかい鳥山」での修行

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ご両親は、和田町で「うな陣」を経営されていて、今は剣さんのお兄さんが跡を継いでいます。

剣さんも、小学校の低学年の頃からお店の手伝いをしていて、それが楽しくて、飲食業に魅力を感じました。

そこで、安房農業高校(現・安房拓心高校)に進み、野菜のことを学んだそうです。

 

高校卒業後に大阪の辻調理師専門学校に1年通った後、八王子にあるいろり炭火焼料理の「うかい鳥山」に就職しました。

そこは、山奥の広大な敷地に豊かな自然や和の庭園風景があり、日本建築の離れが点在し、合掌造りの移築など歴史的建造物もあります。まさに父の好みの店で、敷かれたレールに乗っかっていたのだなぁと思います。「典膳」の原点は、このうかい鳥山にあります。

 

うかい鳥山での修行は3年程でした。

父が、今の典膳のある広い敷地を購入、ここを造成して老後の楽しみを始めたいから店を手伝って欲しい、明日倒れたことにして電話するから帰って来い、と言われ、うかい鳥山を辞めることになりました。

 

▼うかい鳥山HP

https://www.ukai.co.jp/toriyama/

 

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◆両親と「うな陣」のこと

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それからしばらく、兄弟で実家の「うな陣」を経営し、とても繁盛しました。

多い時は20人近くスタッフがいて、うなぎや焼き鳥に加え、お寿司を始めたり部屋数を増やしたり、ビニールハウスでバーを始めたり、アパートを買ってサーフィン大会をやったり、かなり自由に好きなことをやっていました。

 

ただやり過ぎて、母とけんかしてしまい、「出ていけ」と言われて、うな陣を辞めることになりました。

 

両親は、移住者です。

父は群馬出身で、別荘ブームの時に不動産会社の派遣員として南房総に来ましたが、オイルショックで会社がつぶれてしまいました。

母は昔、有楽町そごうに勤めていて、父と結婚して夫婦で南房総市でうな陣を始めました。

母はその後、和田町の町会議員も勤めるなど豪快な人で、お客様にサービスし過ぎて赤字になってしまうようなところもありました。

 

うな陣は、「よそ者」の視点で、地元の人達には気づかない良さ、例えば自然や景色、インテリア、秘境などを強みにしていて、父は「人が来ないような場所でも客を呼ぶのが商売」だと常々語っていました。

 

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◆典膳のこだわりの数々

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うな陣を辞めたので、父が造成していた土地に新しく店を作ることにしました。

 

銀行を回ってお金を工面し、仲間を集めてできる限りコストを抑えて店づくりをしました。

大工さんの手間や掃除を手伝ったり、塗装は自分でやったりして、店の骨董品は父のコレクションをこっそり運んできたりしました。

武家屋敷の門(薬医門)と玄関(唐破風)だけは、古いものを移築しましたが、それ以外は古建具や古材を使って建てました。

実はまだ築18年です。

 

 

 

オープン初年度は、うな陣の知名度を使って集客しましたが、その後秘境ブームに乗ってTV番組でもしばしば取り上げられるようになりました。

でもこれは偶然ではなく、メディアは「変わった店」を探しているので、これに取り上げられるように工夫しています。

道中もアトラクションだし、水道がないことを逆に利用して、蛇口をひねると天然水が出てくる仕掛けもあります。

 

 

料理人ですが、盛り付けは奥様に任せて、料理をお出ししながらマーケティングを兼ねて接客しています。

 

 

またネットでの集客も自分で勉強して、手作りでHPを作ったりFBやSNSもいち早く始めました。

子どもの時は勉強しないで“悪ごと”ばかりしていましたが、大人になって経営や山のこと、ネットのことなど、勉強したくなります。旅行に行って建物の勉強もしたりしています。

 

営業は完全予約制、不定休にして、お客様がいない時には畑や果樹園の仕事や草刈り等、いくらでもやることはあります。

 

お掃除のパート以外は夫婦で経営していますが、山奥にあるので従業員がなかなか来ないのが悩みです。

 

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◆地域のこと

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お店のある集落は、もともと6軒だけでしたが、今は、御子神という牛屋さんと典膳の2軒です。

ここの集落は、里見氏の家来であり戦国時代にも名を馳せた剣豪『御子神典膳吉明』の出生の地であり、店名もここからいただいています。

 

2軒しかないので、地域の草刈りは、お互いに手が空いた時にそれぞれがやっていて、土手の改良やアジサイや水仙を植えたりもしています。

 

何でも行政頼みではなく、商売を続けていくために必要なことはできる限り自分で何とかすべきと考えています。

また、安房地域全体で将来のことを考えていきたい、と地域への思いを語って下さりました。

 

<夜の典膳>

 

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◆インタビューを終えて

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お料理一つ一つのこだわりについては、ここでは全く語り尽くせないので、HPをご覧になるか、直接お店に行って店主からお話聞いてみて下さいね。

 

お料理以外でも、建物や調度品、お庭にも細やかな心遣いが感じられ、心から感動の時間が過ごせること間違いありません。

 

 

▼隠れ屋敷 典膳

南房総市宮下1822

TEL 0470-46-4137

完全予約制(不定休)

 

 

 

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今回は、鞄店3代目の 三幣和範さん、35歳。

 

「かばんのサンペイ」は、館山駅東口の館山銀座商店街にある1946年創業の老舗のかばん専門店で、国内優良メーカーのレディース・メンズバッグを幅広く取り揃えています。

 

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◆水泳&水球に明け暮れた学生時代

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和範さんは、姉、兄、弟のいる4人兄弟。

子どもはスイミングスクールに通うことが当たり前のような時代で、小学生の時に水泳を始めました。

サッカーなど球技も好きだったので、スポーツ推薦で入った安房高校では水球部に入りました。

当時の安房高水球部は本当に厳しくて、部活のことしか記憶にないくらいのめり込みました。

周りのメンバーに恵まれたこともあり、三年生の時に国体に出場できたことが一番の思い出です。

 

三年生の秋まで部活を続け、勉強はほとんどやっていなかったのですが、新潟の大学のスポーツ学科に進むことができました。高校時代に、科学的トレーニングやスポーツ栄養を指導してもらったことからスポーツ学科に興味を持ったのです。

 

大学の時にはスポーツクラブで水泳のインストラクターのアルバイトをしていて、卒業後もそこに就職してインストラクターを続けていました。

 

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◆家業を継ぐきっかけ

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就職して4年くらいたった頃、祖母が亡くなりました。

終戦後、間もない時に祖父母が会社を作った経緯を、喪主である父が話しているのを初めて聞いて、店を続けていくことを考えるようになりました。

それまで家業を継ぐことには全く興味がなく、両親からも特に何を言われたわけでもなかったのですが、兄は公務員だし、当時は一人暮らしをしていて、親孝行を考えるようになったのです。

 

取りあえず、「店を手伝う」と言うと、父もすんなりと受け入れて、先ずは仕入れを任されるようになりました。

 

 

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◆苦労した仕入のことなど

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鞄の買い付けのため、月に1-2回メーカーまわりをします。

メーカーは大都市にあって若者も多く、館山とは客層が異なります。

当初は、自分の好みのものを仕入れても、デザインが良くてもなかなか売れず大変でした。

 

そこで、トレンドをある程度は考慮しつつも、館山のお客様の状況を客観的にみるようにして、使い勝手や生活に合うものを仕入れるように心がけるようになりました。

とはいえ、若い人たちにも来てもらいたいので、明るく人目につきやすい雰囲気にしたり、店舗内の陳列を工夫したりしています。

 

最近では若い新規顧客も少しずつ増えてきて、一度来た方がリピートしてもらえるような対応をするようにしています。

それには、水泳のインストラクターの経験が活かされています。

スクールには幼児から高齢者までの幅広いお客様がいて、上司からは、コミュニケーションがとにかく大事だと教わりました。水泳の指導がしっかりできるのはもちろんですが、喋り上手で楽しい、このコーチの教室にまた入りたい!そう思ってもらえるような指導者を目指しなさいと言われたのが心に残っています。

 

店では、感じの良い挨拶はもちろんのこと、お客様が前回買ったものを覚えていたり話しかけやすい雰囲気を作ったり、かといって最初は話しかけ過ぎないようにと、距離感にも気を配っています。

 

店舗販売の他、ネットでの販売もしていますが、これはとても厳しくなってきています。

実はネット販売は父が始めたのですが、その頃は他ではやっていなかったので、家族旅行に出かけている時でもPC作業をするくらい売れていました。

 

今、誰でもネット販売ができるようになり、価格勝負になってしまっています。

なので、ネット専用の商品を仕入れることは止めて、店舗で販売するものをネットでも買える、という程度にしています。

 

 

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◆新たな挑戦

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今後、店を如何に継続していくかに頭を悩ませています。

 

展示会や色々な店にも顔を出してトレンドや人気を確認したり、新しいメーカーのものを探すことはもちろんですが、「オリジナル商品」を作り、新潟の知り合いの店にも置いてもらっています。

これは、「昔の学生カバンをカジュアルバッグとして使いたいんだけど…」というお客様が何人かいて作り始めたのがキッカケです。

昔の帆布製肩掛けカバンを忠実に再現しつつ、独自で革を使用してより丈夫に、見た目にもオリジナル感を出しました。

父がデザインして、制作は鞄の街として有名な兵庫県豊岡市の工場で職人が一つ一つ丁寧に仕上げています。

 

また、この商品をテレビドラマ「おいしい給食」で、生徒たちが使うシーンに提供させて頂きました。

これまで、制作会社に売って使ってもらうことはありましたが、今回は無償提供。

使われて返ってきた鞄は汚れたりして販売することは難しいのですが、ドラマのエンディングで“衣装協力”として店の名前も流れるので、広告宣伝費として考えることにしています。

 

▼ドラマ『おいしい給食』公式サイト

https://oishi-kyushoku-tv.com/

 

 

今後も、こうしたタイアップも含め、効果的な販売方法など試行錯誤していくつもりです。

 

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◆インタビューを終えて

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道沿いのお店なので、これまで私も何度も車で前を通って気にはなっていたのですが、何となく入りそびれていました。

お話してみると、とっても気さくな好青年ですし、鞄も手頃なものからお洒落なものまで豊富な品揃え、また相談にも乗ってもらえるのでお勧めです。

私も、お話の後に仕事用の鞄を勧めてもらいました!

 

 

駐車場は、お店の脇の銀座中央パーキングに2台分あります。

年明けから春にかけてセールもするそうなので、是非ふらりとお店をのぞいてみて下さい。

 

▼サンペイ鞄店

館山市北条1823

TEL 0470-22-1086

水曜日定休 10:00~17:00

 

HP http://bagsampei.com/

インスタグラム https://instagram.com/kaban_sampei?utm_medium=copy_link

 

 

 

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