~安房で活躍する人を応援しています!~
今回は、南房総市に工房を構えるうつわ作家の志村和晃さん、42歳。
―――――――――
◆やりたいことが見つかるまで
―――――――――
中学、安房高時代は、柔道に明け暮れていました。
3つ上の兄も柔道部だったので、高校では入らないと思っていたのに、先輩の「熱心な」勧誘にあい、「熱心な」指導があり、朝練、昼連、放課後も練習、という生活でした。
大学受験に失敗してしまい、でも浪人して勉強するのも嫌だったので、東京のデザイン系専門学校に進みました。特に目標があったわけでもなく、絵をかいたり物を作ることに多少興味があったので、専門学校の資料をみて何となく決めて。この頃は、授業だけは受けていましたが、ある意味「闇の時代」でした。
卒業後、フリーターのような状況で、特にやりたいこともなく色々なアルバイトをしていました。
スターバックスのアルバイトが楽しかったので、社員を目指そうかとも考えましたが、上司と話してみると、売上や利益の数字も考えなければいけない、それはやりたいことと違うような気がしてやめました。
―――――――――
◆25歳で覚悟を決め、2度目の専門学校へ
―――――――――
25歳の時に母親が亡くなり、このままではいけない、やりたいことは何なのか、と真剣に考えました。
専門学校の時に色々な種類の工芸を学ぶ中で、陶芸の授業が楽しかったことを思い出して、もう一度きちんと勉強してみることにしました。
学校案内を見て、設備が充実していること、職人を養成していることが気に入って、京都伝統工芸大学校に2年間通いました。
学校は、京都の田舎にあり、他にやることもありません。
毎日、休みの日も、淡々と、同じものを何個も作る練習をしました。
指定されたものを寸分たがわず100個単位で作り、同じものが作れるようになったら次の課題へ進める、という授業でしたので、高卒で中途半端な気持ちで来ている人はなかなか続きません。
感性を活かすアーティスチックなものとは違うかもしれませんが、同じものが揃ってできると嬉しいし整っていてカッコいいと感じました。
絵付けの方は、小紋の決まった柄をきれいに早く描くことを習いました。
―――――――――
◆加賀の九谷焼の師匠に弟子入り
―――――――――
夏休みに先生や先輩のつてで色々な工房の見学をして、卒業後は石川県加賀市、山背陶房に就職しました。
山中温泉という雪深い山の中の雰囲気や、師匠の人柄や考え方が気に入ったからです。
後から知ったのですが、師匠の正木春蔵氏は九谷焼でかなり有名な方でした。
京都の学校では、形がきっちりそろっていて絵もかすんでいてはダメ、と習いましたが、手で描くのだから多少違ってもいい、もっとおおらかでいい、というところが気に入りました。
骨董品を沢山持っていましたが、従業員にも食卓で惜しみなく日常に使ってくれて、持ち寄りで食べる会などもやってくれました。
奥様がろくろを回しご主人が絵付けをするという二人三脚で、元からいた女性1名のところに同期の弟子が一度に3人入り製作していました。
工房の事情により3人とも1年で卒業、ということになりました。
▼有限会社山背陶房
https://www.facebook.com/yamase1976
―――――――――
◆益子での修行後、独立
―――――――――
いったん館山の実家に戻り、今後のことを考えました。
京都では職人のように淡々と同じものを作ることを習い、それでも良かったのですが、作家として独立した方が良いのか、あやふやな状況だったので他の産地でもう少し勉強してみようと思い、関東で一番近い栃木県の益子焼協同組合に電話をして雇ってくれる窯元を探しました。
最初は先輩が作ったものを窯に詰めたり焼いたりという雑務ですが、終わってから練習するようになりだんだんと作れるようになってきます。
益子では、年に2回、陶器市が開かれ、いつもは2万人強の人口の町に10日間で50万人もの人がやってきます。
工房のテントを借りて、上手くなると名前を出して売っても良いとなります。
普段働きながら、窯を借りて自分のものを売るようになり、思ったより売れて自信がついていきました。
結婚もきっかけになり、32歳の時に工房を辞めて独立しました。
窯もある貸し工房を借りて、益子陶器市や催事に出品して注文を受けるようになりますが、それほど仕事がないので“賃引”も引き受けていました。粘土が支給されて焼く前まで作って工房に納める下請けのような仕事です。
他の先輩から、せっかく京都で習った磁器に絵付けをする技術を活かしたらどうか、というアドバイスも頂いて、自分のスタイルを作っていきました。
▼益子陶器市
http://blog.mashiko-kankou.org/ceramics_bazaar/index.shtml
―――――――――
◆安房に戻ったいきさつ
―――――――――
奥様は船橋に住んで東京で仕事を続けながら子育てをして、遠距離の結婚生活を続けていました。
もう少し近くで陶芸をできるところを探していたのですが、実家なら融通が利いて倉庫もあったので、2014年に館山で工房を始めました。
友人の窯職人に窯を作ってもらい、その他にも初期費用は200万円くらい。
平日は館山で仕事をして、週末に船橋で家族で過ごす生活でしたが、3人目が生まれて流石に大変になり、家族全員で館山に移りました。
益子焼陶器市への出品は今も続けていて、取引先はほとんどここで開拓できています。
全国から作家も集まり、見本市のようになっているのです。
最近、南房総市に工房付の住居を見つけて引っ越しました。
―――――――――
◆インタビューを終えて
―――――――――
目指すのはアーティストではなく、「うつわ作家」と称する職人、のようですが、控えめに淡々と肩の力の抜けた話し方がとても印象的な方です。
また食べるのが好きだという志村さんの作るうつわは、レトロな雰囲気もありながら可愛く、料理が映えてお勧めです!
▼awan kiln
南房総市沓見1390
フェイスブック https://www.facebook.com/awankiln
インスタグラム https://www.instagram.com/kazuakishimura/
▼この記事を書いていて見つけた志村さんの取材記事
https://hokuohkurashi.com/note/191721
https://niwanowa.info/circles/05/31/9689/
▼ドキュメンタリー動画「うんともすんとも日和」
https://www.youtube.com/watch?v=v60Zy4t8WK8&list=PLEqLkMA6K-8dNEDp-qtnNu5HwUcPcYPzB&index=13
★ご自身のコメントをつけてシェアして頂くのも応援につながると思います!
#頑張る人を応援する 文化を作りたい






































」











