以心伝心

ムルカと私は以心伝心だ。ムルカの「にゃっ」が何の「にゃっ」なのかわかるのは私だけ・・・、なだけではなく、ムルカもある程度日本語がわかるのではないかと疑ってしまうことがある。
最近は、ブログに何か書くと、必ずと言っていいほど、次の日から書いたとおりのことはしなくなるのだ。たとえば、「ここが基地でーす」とクローゼットの上を紹介すると、2,3日はそこで寝るのをやめる。「こんなおもちゃでそんなに喜んでくれるの?」と書くと、次の日は1日そのおもちゃに見向きもしない。「合図の音楽を聴くとご飯に飛んでくるようになった」と書くと、次の日からご飯時間の10-20分前に残り物の置き餌をねだって手から食べ、ご飯の時間の音楽には知らんぷり。日本語は読めないにしても、記事にしたときはたいてい夫と話題にして盛り上がっているので、一応、音声として耳にはしている。反抗しているのだろうか?
また、朝夫が出かける前に、その日の私の外出予定など話していると、やはり機嫌が悪い。出かける時間を狙っていつもは寝ている時間なのに、なぜかちゃんと起きていて、「えっ、出かけるの?」といわんばかりに玄関や玄関近くの部屋で腕組みをして仏頂面で座っている。
ムルカは本当は日本語がわかっているのだろうか?日本に来て以来、テレビから日本語を聞く時間が激増している。ムルカも少しずつ日本語が得意になっているのかもしれない。
「どん底」
ユーゴザパト劇場の「どん底」より
著:ゴーリキイ, 訳:中村 白葉
「どん底」は、原作を読むより先に劇場で演劇を観てしまった。ロシア語部分はさっぱりわからなかったが、日露二ヶ国語上演という趣向で、出演している日本人は日本語のみ、ロシア人はロシア語のみを話していたので、あらすじはわかった。でも、見方としてはかなり邪道だったようだ。この作品はどうも、筋ではなくセリフを味わうもののようだということが原作を読んでわかったからだ。
ゴーリキーの作品を読むのはこれが初めてだが、私が勝手に受けた印象としては、若い頃に好んで読んだ吉本ばななの作風に似ている。もちろん、テーマや状況設定、文体などは似ても似つかない。似ているのは、非現実的な状況設定の中で、登場人物たちのセリフだけが、不思議にグサグサと胸に突き刺さってくるというところだ。
どちらも状況設定が「非現実的」なので、主人公の生き方に自分を重ね合わせる、だとか、主人公の生き方に共感する、だとか、という読み方をする本ではない。が、何かしら心に残るものがある。
幼なじみ・オージー
ムルカが最も長くつきあってきたお友だち、それはこの「オージー人形」だ。オージーという名前は、私たち夫婦がモスクワを留守にするときいつも預かってくださったおうちにいたムルカの本物の幼なじみの猫の名前からとった。ムルカはこのぬいぐるみ猫と闘争本能むき出しで闘う。
最初の「お友だち」はスーパーで粗品としてもらったてんとう虫のぬいぐるみだった。これが、うちに来てすぐ(当時2ヶ月程度)のムルカのプロレスごっこの相手となったのだが、小さなムルカは手加減ということを知らない。そのうちてんとう虫クンは見るも無惨な姿にされてしまった。
対戦相手を失ったムルカのために次に私が見つけたのが、初代オージーだ。当時はまだ取り締まりのなかった地下道に立つ物売りから購入した。100ルーブル(400円)くらいだったように覚えている。同じおばさんから2,3回購入していたのだが、そのうち市の条例で地下道から物売りが締め出されてしまったので、しばらくムルカには対戦相手がいなかった。スーパーやショッピングセンター等に行くたびに同じタイプ(手を中に入れてぬいぐるみの手と頭を動かせるタイプ)のぬいぐるみを探したが、このタイプはどこでも売っていなかった。
最後のオージーがボロボロになってから、このオージーを某大手仏系スーパーで見つけるまでには何ヶ月もかかった。買って帰ったときのムルカの興奮の仕方は尋常ではなかった。ずっと、待っていたかのように、見せると「にゃあん☆」と声を上げ駆け寄ってきた。そんなに好きなのかと思ったのだが、対戦するときは荒々しく興奮して「はぁっ」と牙をむいてみたりもするし、オージーをムルカのお気に入りの椅子や少し高い目立つ場所に置いておくと、必ずといってよいほど向かって行って、いまいましげにそれを叩き落とす。「この家の女王は私よ、わかってんのっ!」と言わんばかりに・・・。ムルカはオージーのことを友だちだと思っているのだろうか?それともライバル??
パブロフの実験その後
ムルカの食事時間を決め、携帯の音楽で知らせるようになってから10日になる。
確かに音楽が鳴ると走ってくるようになった。また、夕方、「基地」で寝過ごすことはあっても、行って音楽を聞かせてやると5分以内には起き出してきてご飯の場所にやってくる。まずは実験成功か。
ただ、ひとつ、うっかりしていたことがある。パブロフの実験とは「条件反射」の実験だったのだ。つまり、ムルカにとって「トルコ行進曲が鳴ったらご飯がもらえる」という条件反射の回路は作られたが、それが「音楽が鳴らないとご飯がもらえない」というしつけにつながるというのは、人間の勝手な思い込みだった。一度にわずかな量しか食べない猫の習性を考えると、置き餌をしないで1日2回のみ餌を差し出すという方法は難しい。だから、ムルカにとっては音楽の時間は「餌の支給時間」にすぎない。
そういうわけで、あいかわらず3日に1度の割合で、夜明けの襲撃はつづく・・・。
何か文句ある?【ムルカ】







