◆高輪の蕎麦屋で一杯◆ | 頑固オヤジの、ばり雑言!!

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真っ当な、和の文化を残したいもんだわさ。
 
劣化し続ける和文化に警鐘を鳴らすべく、
思いの丈を書き綴った強面親父の言いたい放題!

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昨日は高輪大木戸向かいの馴染みの蕎麦屋で、浅草伝法院脇のトンガラシ屋の兄さんと待ち合わせ。てんで、5時前に家を出た・・・・。

 

 

緑が丘駅に向かっていると御覧の場所で、自由が丘の畳屋の兄弟と出会った。前日アタシが行った眼医者に姉さんを連れて行ったと大将が、以前お裾分けをしたカレーの礼も言ってくれた。

 

 

高齢の姉さんの容体が、イマイチ良くないよう・・・・。眼科の先生曰く、眼医者じゃ無く他の病院へ行くよう勧められたとか。

 

 

都営浅草線、泉岳寺駅を出たところが馴染みの蕎麦屋。先代が京急に駅にする土地を譲ったよう、この頃京急の本社は品川にあった・・・。

 

 

 

駅を出た向かいが大木戸跡、右手が高輪の新駅。間抜けな駅名が嫌いで、アタシは高輪の新駅と呼んでいる。

 

 

 

 

メニューの数も少なくなり、アタシ考案の討ち入り蕎麦も無くなった。

 

 

店に入ると大将がアタシの為に旧高松宮邸隣の和菓子屋で、豆大福などを買って置いてくれた。前もって電話をすると、この和菓子屋の餅で揚げ餅をこさえてくれるのである。

 

 

店内に入って直ぐに、浅草伝法院脇のトンガラシ屋の兄さんがやって来た。ここで兄さんと呑むのは、6・7年ぶり・・・・。コロナの所為で、一緒に酒を飲むことが無くなった。

 

先ずはいつも通り、おかめの抜きに海老の天婦羅を入れてもらう。

 

 

この揚げ餅は、二本榎の和菓子屋の餅を揚げたもの。以前必ず食っていた蕎麦がきも、メニューから消えた品。

 

 

人出が無く、最近は家族四人で店をやっている。高校生の娘さんも洗い物をしたりフロアーを手伝ったりと、今時珍しい昭和の家族。

 

客というより親戚のオジサンの様な存在のアタシは、何かしてやらなければと思ってしまうのである・・・・。

 

 

酒豪の兄さんは旨そうに酒を飲み、下戸のアタシはお茶をのみながらこれらをつまみに馬鹿っ話。

 

若い頃七丁目の銀座ライオンに勤めていたトンガラシ屋の兄さん、同じころアタシも銀座のデザイン事務所に勤めていた。てんで、この頃の銀座の話や、浅草の話などを久しぶりにした。

 

この時、ライオン並びの食い物屋の名前が思い出せなかったがそれを今思い出した、その名は吉宗・・・・。この時コリドー街の名が出てこず、キラー通りと言ってしまった。

 

今から半世紀ほど昔、コリドー外に五味八珍と言う名の串揚げ屋が有った。新宿の串の坊と五味八珍ぐらいしか東京に串揚げ屋が無かった頃、なけなしのお足を払い五味八珍に行ったもんだった。

 

この頃浅草の暮れ六つや、渋谷松濤の飲み屋などへ下戸の癖に行っていた・・・・。次回兄さんと会うのはほうずき市の日、帰り際トンガラシ屋の兄さんからも手土産を頂いた。

 

この時店の暖簾が大分痛んだと言われ、今日曳舟の型染屋に電話をし、伝法院のトンガラシ屋へ行くよう染屋の大将に電話をした。

 

 

 

高輪からの帰り、緑が丘駅を出ると向かいのかかりつけ医の入り口に行き、ツバメの巣の写真を撮った。昼間は巣の外を向いているツバメは、夜はお尻を向けて寝ていた。

 

 

 

左上と右の菓子がとんがらし屋の兄さんに頂いた物、左上は浅草言問い通りの寒天屋のアンミツ。下谷寄りの浅草なので、長い間ここの寒天を買っていない。

 

重い寒天を、持って歩くのがつらくなったからである。久しぶりにこの店の寒天を食う事位にした。

 

左下は、蕎麦屋の大将が買っておいてくれた、高輪の和菓子屋の豆大福など。帰宅すると直ぐに仏壇に供えた。

 

この日は数数日前から膝が痛く、歩くのがやっと。駅の階段の上り下りは手すりをつかんでいないと、転げ落ちそうだった。

 

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