◆浅草の馴染みの店◆ | 頑固オヤジの、ばり雑言!!

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昨日の続きだよ、お立会い!!

 

浅草寺のホウズキ市へ行く前に、何軒かの馴染みの店に顔を出す。昨日は地下鉄銀座線田原町駅で下車し、雷門の稲荷ずし屋へ行く。

 

 

志乃だ寿司前の道を北に進むと、浅草公会堂の角伝法院の通りに出る。その通りにあるトンガラシ屋へ行く前にここで一折り稲荷ずしを買う。

 

 

 

後からまた来るよと一声かけ、買った折を手にトンガラシ屋の兄さんの店に向かう。

 

 

 

 

 

 

伝法院裏に並んだ店の西の端が御覧のトンガラシ屋、鏡商店。前回浅草へ行った時は会えなかったので、面を合せるのは今年はじめて。

 

持参の手土産と、上の折を手渡し、ホウズキは後でもらうからと、奥山花屋敷隣の店へ向かう。

 

 

 

 

木馬館の脇を曲がり花屋敷隣の店に向かうと、馴染みの店はシャッターがしまったまま。向かいの古着屋の女将に大将夫婦の消息を聞くと、大将は亡くなり、女将さんは何処かへ行ったと。

 

長女が三鷹、次女は雷門に住んでおり。前記の稲荷ずし屋の近くに孫も住んでいたので、そのうち消息が分かると思う。

 

 

 

上の写真は一昔以上前の写真、一時期大将の弟さんも店の手伝いをしていた事もあり、雷門に住んでいる次女の旦那さんも、休日には店の手伝いをしていた。

 

 

 

元気な頃の浅草っ子の大将と、新潟生まれの働き者の女将さん。浅草に行くとこの店には必ずより、チョイとしたもんを食いながら馬鹿っ話をするのが何時もの事だった。

 

戦前の浅草がにぎわった頃の話や、大将のお袋さんが宮中に出入りをしており、皇族の着物の着付けをしていたことなど聞かされたのは大昔。

 

20年程の長の付き合いの、御仁達だった・・・・。

 

 

芳野屋の跡を通り過ぎ、浅草寺境内のホウズキ市を冷やかした後、トンガラシ屋の兄さんの店に戻る。

 

 

伝法院の通りにある上の写真の店は。大昔中万と言う名の呉服屋の大女将と雨ゴートの生地を探しに行った店。

 

大昔自分の店で働いていた御仁がやっている店。大女将と店内に入った途端、下の紗綾型の生地が目に飛び込んできた。

 

 

 

 

 

 

 

 

浅草鏡商店の兄さんは、ホウズキ市の時浅草寺境内でホウズキを売っていた。その時初めて出ったのが十数年前、それ以来の長の付き合い。

 

ホウズキの売を辞めて十年以上経つが、その間アタシの為にホウズキを取り置きしておいてくれる。この日もホウズキを受け取った後、トンガラシを調合してもらった。

 

 

 

上のトンガラシと輪切りの唐辛子を買い。落ち着いたら三ノ輪橋で旨いもんを食おうと話しをし、トンガラシ屋を後にした。

 

このトンガラシはネットでも買えるので是非、浅草鏡商店で検索してくんなまし。

 

 

稲荷ずし屋側の店で、今年はじめての冷やし中華を食い、志乃だ寿司へ向かう。

 

 

 

 

再び稲荷ずし屋を訪れ、手前用の上記の寿司を買い、買ったトンガラシを手渡すと、封を開ける前から女将さんが「良い匂い!」そこで「開けてみな!」と勧めると・・・。

 

封を開けて匂いを嗅ぎ、「これをお稲荷さんにかけたらおいしそう?」と言いながら小皿に乗せた稲荷ずしにな名入りを振りかけ、先ずはアタシに差し出した。

 

伝法院裏のトンガラシ屋の存在は知ったいたが、そこのトンガラシを口にした事が無いと言う女将が、「今度是非、買ってみると!」・・・・。

 

ホウズキを買うとガラスの風鈴が付いてくる、不要なこれを貰ってもらい、お足を払って店を後にした。

 

この稲荷寿司屋の側に仮店舗を出した履物問屋も平日なら顔を出すが、この日はあいにく休日。このように浅草へ行くと、顔を出す馴染みの店が何軒かあるが、それもだんだん少なくなる・・・・。

 

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