◆自由ケ丘をあっちへ行ったりこっちへ来たり◆ | 頑固オヤジの、ばり雑言!!

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真っ当な、和の文化を残したいもんだわさ。
 
劣化し続ける和文化に警鐘を鳴らすべく、
思いの丈を書き綴った強面親父の言いたい放題!

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昨日は月末てんで、午前中なら目黒通り沿いのスーパーで一割引きの券がもらえるかもと、9時半に家を出た。

 

 

ここで買うのは京都一保堂のお茶だけ、この日も何時もの煎茶を買い帰り際「一割引きの券は、もう無いの?」と問うと、どうやら券の配布を止めた様だ。

 

 

お茶を買った後は必ず自由通り沿いの不動産屋へ顔を出すが、そろそろ客が来る頃と言うんで、直ぐに引き返す。

 

不動産屋の隣にあった牛乳屋とその隣の赤いテントの肉屋は、同級生の実家。その斜向かいの眼鏡屋へちょいと顔を出した。

 

 

 

目的は写真奥の御仁、サングラスの調整をしてもらい、先日花屋の若旦那に渡したサプリメントがまだあるから、呑んでみるかと勧めに来たと言う訳。

 

アタシと同い年の御仁は銭湯で転倒し、大腿骨を骨折したばかり。食生活が悪そうなので、このサプリメントを勧めると、呑むと言う。

 

そこで家に戻って持って来ると言い残し、店を後にした・・・・。

 

 

 

眼鏡屋の横が馴染みの畳屋、この日は大将の姿が見えず、そのまま素通り・・・・。

 

 

畳屋からクリーニング店へ寄り、預けてある洗濯物を受け取り一旦我が家へ戻る。

 

 

 

再び母校の小学校横を抜ける時、左の建物の持ち主の同級生(工務店経営)と久しぶりに会った。近況を聞くと、この御仁も歳の所為か入院をしていたと言う。

 

道端で見知った御仁と出会って話す会話の内容は、決まって体の事ばかり・・・・。この時、電柱に貼られた看板を見て、この医者に昨日診察に行くつもりだったことを思い出した。

 

 

 

再びクリーニング店の前を通り近頃開かずの踏切になった、この場所に出た。奥の木立は熊野神社の境内。

 

 

自由が丘駅に一番近いこの踏切は、東横線に色々な路線が乗り入れるようになって、電車の本数が増え、遮断機が下りる回数も増えてしまった。

 

右の建物がサンリキ・ひかり街という、昔ながらのマーケットだが、店舗の内容は様変わり・・・・。

 

 

 

 

 

 

再び眼鏡屋を訪れ、芝神明神社の氏子だった写真の御仁に花屋の大将に飲むよう置いて来た物と同じものを、プレゼント。

 

暫しここで、半世紀以上昔の芝・麻布当たりの馬鹿っ話に花が咲く。それを店の若い二人が楽しそうに聞いている、なんぞは、なかなか良いもんでげしょ??

 

 

 

帰りは小学校の裏を回り、我が家の近くまで来ると、遠くに見知った御仁を見つけ、声を掛けに行く。

 

押し車を押して立っている処は、交通事故で寝たきりになり二三年前に亡くなった俳優が住んでいたマンションの前。

 

奥の赤いテントは長い付き合いの八百屋のマーちゃんの店だった処、その後宮崎出身のアンちゃんも八百屋を始めた。

 

二三日前、髪を切りに行った床屋が、写真右奥の角・・・・。

 

 

 

東工大の留学生を四年間無償で面倒を看たのが、工務店大将のこの御仁。今日も家の前で会ったので、我が家の内装工事の事を相談した・・・・。

 

 

上記の親父と話をしている処に、上の写真の近所の親父が参戦。町内で只一軒のテーラーの息子だったが、誂えの背広を作らなくなった時代背景から、他の職業に就いた。

 

アタシの家は黄色の文字の先の角を、左に曲がった処。町内を歩くと見知った顔にまだまだ出会うので、その都度交わす馬鹿っ話はなかなか終わらない・・・・。

 

 

眼鏡屋で調整してもらったサングラスが此れ、サングラスも眼医者に行くのも、経年劣化の白内障の所為・・・・。

 

二時近くになって、眼医者に行く事を思い出し念のために診察券を見ると、土曜日の診療時間は13時半まで。てんで、またまた日を改めて、眼医者に行く・・・・。

 

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