日本に無罪判決を下したパール判事も南京大虐殺を認めていた | 歴史の超真相ブログ〜教科書には嘘しか書かれていない~

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✳️【パール博士の警告】
 パール博士はその判決書の中で、南京事件に関する連合国側、とくに中国側のたくらみがなにであるかに触れ、曲説と誇張を感情に訴えて、自国を有利に導く戦時宣伝の影響について、チャールス・アディス卿の次の言葉を引用している。

 「戦争を交えている二国間においては、その戦闘国のいずれかが宣伝に訴えることによって、興論を自己に有利に仕向けようとする危険が必ず存在している。その宣伝においては種々の事件─かなしいかなこれはすべての戦争から分離することはできない─は偏見と感情を激昂させ、戦いの真の係争点を曖昧にしてしまう特別の目的のために拡大され、曲解されるのである」

 パール博士は、「南京暴虐事件に関するこのような戦時宣伝を是認するのか、拒否するか、本裁判は充分考慮すべきである」と警告している。南京事件の考察にあたって注目すべき発言であると思う。 田中正明〈南京事件の総括 虐殺否定15の論拠〉より


✳️【法と証拠に基づく検証】
 ラダ・ビノート・パール極東国際軍事裁判インド代表判事は、1948年11月12日に結審した同裁判の判決書に「時が熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取ったあかつきには、そのときこそ、正義の女神は、その秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するだろう」と記し、いわるゆ「A級戦犯」全員無罪の判決を出しました。

 それから69年、いまだ「南京問題」に関する報道は、パール判事が訴えていた「法と証拠」に基づいた一次資料による検証を蔑ろにして、イデオロギーに汚染された報道が氾濫しております。

 いわゆる「南京事件」(1937年12月)から本年(2017年)は80年目になり、今こそ「熱狂と偏見」を捨て、理性によって“20世紀最大の歴史改竄”の仮面を剥ぎ取るときがきたのです。

 本書は、パール判決文に敬意を表し、「南京問題」を「法と証拠」に基づき完結することを目的に、南京攻略戦当時の国際連盟議事録を「第一級資料」と評価し、公的資料を「一次資料」、新聞雑誌報道を「二次資料」、そして報道写真の原理原則を充たしている写真を「一次資料」として検証しました。 水間政憲〈完結「南京事件」 日米中歴史戦に終止符を打つ〉より


✔️【真相〈パール判事の知られざる言葉〉】
 東京裁判の判事の中で、唯一日本に無罪判決を下したことで知られるインドのパール判事。

 大虐殺なかった派のレジェンド、田中正明は彼から「日本の息子」と呼ばれてかわいがられていたそうです。

 ところで大虐殺なかった派の論客たちは、パール判事の名前を権威付けに利用しているようですが、大変残念な事実をお知らせしないといけません。

 実はパール判事の言葉にこういうものがあるんです。

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 「本件(南京事件)において提出された証拠にたいしていいうるすべてのことを念頭において、宣伝と誇張をできるかぎり斟酌しても、なお残虐行為は日本軍がその占領したある地域の一般民衆、はたまた、戦時俘虜にたいし犯したものであるという証拠は、圧倒的である。 東京裁判研究会〈パル判決書(下巻)〉より
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【ハシゴを外されてしまった大虐殺なかった派】
 たしかにパール判事は日本に無罪判決を下しました。

 が──日本の種々の非違行動に対して「罪がない」と言っているわけではないのです。

 田中正明をはじめとする大虐殺なかった派たちは、完全にハシゴを外される形になってしまいました。

 ちなみに前述のパール判事の言葉は判決書に書かれたもので、東京裁判で朗読されることはなかったそうです。

 そのためほとんど知られておらず、大虐殺なかった派の人たちの「パール判事はぜったいに最後まで自分たちの味方だ!」という誤解を生み出してしまったのです。

 大虐殺なかった派のみなさん、御愁傷様です(涙)。


【ページが進まない〈完結「南京事件」】
 最後に余談を1つ。

 どうでもいいことなのですが、水間政憲の〈完結「南京事件」〉という本。写真を大量に使っていて文章が少なめな本なのですが、文章が読みにくい&わかりにくいため、とにかくページが進みませんでした。

 こういう本を書ける人というのも、ある意味なかなかいないと思います(笑)。


【まとめ】
 ●パール判事は南京大虐殺が事実であることを認めていた。