小室直樹と渡部昇一と南京事件論争寝言集 | 歴史の超真相ブログ〜教科書には嘘しか書かれていない~

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 渡部昇一〈負け戦の兵隊にしてみれば、上の人がちゃんと降参してくれれば、これほどありがたいことはありません。日本軍にも、相手に降参された戦場はたくさんあるのです。そうしたときに、日本軍は捕虜の世話ができないからと、原則としては武装解除の上、みんな家に帰ってもらいました。〉 小室直樹/渡部昇一『封印の昭和史』より

 小室直樹〈南京で30万人もの虐殺をおこなったというテレビの映像には、しばしば機関銃の掃射によってだとか、ガソリンをぶっかけて焼き殺したなどということが出てきますが、そのようなことはこの補給に対する日本軍の当時の考え方からしても、ありえないことであるということができます。当時の日本軍にとって鉄砲の弾というものは物凄い貴重品であり、一発でも紛失したときにはみんなで探し回ったほどです。ガソリンも同様であり、のちにABCD包囲網を敷かれたために対米戦争になったわけですから、「石油の一滴は、血の一滴」であるということで、物凄く大事にしていたんです。〉(同)

 小室直樹〈日本軍は南京入城を果たしたときには食糧も弾薬もけっして充分ではなかったのですが、それでもその少ない物資のなかから、安全区の中にいた人々に対して食糧を分け与えたということは、じつにたいへんなことです。

 その日本軍がいろいろなところで掠奪したということが言われていますが、そのほとんどが食糧であり、食糧については徴収する権利があるのです。そのことをアメリカ人は理解できないようですが、これは無理もありません。朝鮮戦争においてもベトナム戦争においても、アメリカ兵は食糧の現地調達をおこないませんでしたが、それは食文化の違いによるものです。アメリカ兵のほとんどが、朝鮮やベトナムの食べ物を食べたがらないので、調達する必要がなかったわけです。

 ところが、当時の日本軍は、食うや食わずで戦っていたと同時に、シナ人とはだいたい同じようなものを食べていたわけですから、食糧については現地調達をしようということになったわけです。それは国際法においても合法です。食うや食わずの兵隊にとってみれば、食糧は軍需品であり、軍需品の調達は合法なのです。なかには宝石などを掠奪した者もいたようですが、それは新聞記者や坊主や文化人などでした。新聞記者や坊主や文化人は、いずれ内地に帰れることがわかっていたので、宝石などを盗んだようですが、将兵は生きて帰れるかどうかもわからないわけですから、そのようなことはしませんでした。(同)

 小室直樹〈「南京事件」「南京大虐殺」が登場するのは、「東京裁判」(極東国際軍事裁判)においてです。

 それより前には、影も形もありませんでした。

 ではなぜ、東京裁判にいきなり「南京大虐殺」が出現してきたのでしょうか。

 現在ではいろいろと研究が進み、真相は明らかにされてきています。

 「人道に対する罪」をでっちあげるためです。〉(同)


✔️【反論《寝言にすぎない》】
 これらがすべて「アタマ大丈夫?」というレベルの寝言にすぎないことは、これまでの記事を読んできた人には言うまでもないと思います。


【ラーベの福田篤泰への手紙】
 最後にもう1つ。小室直樹はこんなことも言っています。

 〈南京の安全区については、シナの敗残兵を受け入れたということは、委員会が中立を守るという協定に違反を犯したということです。ですから、本来ならば委員会の人が銃殺されても文句は言えないのですが、日本はそこまでやらなかった。そのことに対してはなにひとつ報復措置をとらず、安全区については最後まで砲撃をしなかった。英米仏は、中立を僭称しつつも協定を破ったが、日本はそれでも約束を守り通した。その事実を書かなかったら不公平です。

 敵兵が逃げ込んだから追撃する、それは当然の権利なのです。それが悪いというなら、シナ兵を入るのを断固として拒否しなければならない。それでもなおかつシナの敗残兵が逃げ込んできたなら、安全区を管理している委員会の責任として、日本に「敗残兵ですよ」と言って突き出さなければならない。それだけの義務があるのです。正式に委員会が日本軍に突き出して、その上で日本軍が銃殺にしたいというのであれば、そのときの状況によっては、あるいは日本にも責任はあるかもしれない。しかし委員会は敗残兵を突き出さなかったのだから、日本軍としては誰が敗残兵で誰が普通の市民なのかすら判別することは不可能でした。そのことを明記する必要があります。〉

 ではカウンターとして、ジョン・ラーベが福田篤泰に当てた手紙を紹介します。

 〈南京安全区国際委員会はすでに武器を差し出した中国軍兵士の悲運を知り、大きな衝撃をうけております。本委員会は、この地区から中国軍を退去させるよう、当初から努力を重ねてきました。月曜日の午後、すなわち12月13日まで、この点に関してはかなりの成果を収めたものと考えております。ちょうどこのとき、これら数百人の中国人兵士たちが、絶望的な状況の中で我々に助けを求めてきたのです。

 我々はこれらの兵士たちにありのままを伝えました。我々は保護してはやれない。けれども、もし武器を投げ捨て、すべての抵抗を放棄するなら、日本からの寛大な処置を期待できるだろう、と。

 捕虜に対する一般的な法規の範囲、ならびに人道的理由から、これらの元兵士に対して寛大なる処置をとっていただくよう、重ねてお願いします。捕虜は労働者として役に立つと思われます。できるだけ早く彼らを元の生活に戻してやれば、さぞ喜ぶことでありましょう。〉

 小室直樹と渡部昇一はラーベのこの手紙を読んでも、前述のような言葉を吐くことができるんでしょうか?

【まとめ】
 ●小室直樹と渡部昇一の両大先生方は、最初から最後まで《ふざけた奴ら》だった。