【大虐殺の証人・福田篤泰】
ところで小林よしのりは「ラーベは1月4日から6日までの日記に撹乱工作兵の事件のことを書いていない」と言っています。
たしかに日記には事件のことは書かれていませんが、1月4日から3日後の1月7日の日記には次のようなことが書かれているんです。
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福田氏に国際委員会の趣意書を渡す。氏の話だと、なにがなんでも南京の秩序を即刻回復せよ、と東京から厳命があったとのこと。また、行政的な職務(この私、ラーベの「市長職」も?)も我々「よそ者」ではなく、すべて自治委員会が担当すべし、といってきたという。そういわれてしまっては、手も足も出ない。願わくは自治委員会にそれだけの能力があらんことを。
南京の危険な状態について、福田氏にもういちど釘を刺しておいた。「市内にはいまだに何千もの死体が埋葬もされずに野ざらしになっています。なかにはすでに犬に食われているものもあります。でもここでは道ばたで犬の肉が売られているんですよ。この28日間というものずっと、遺体を埋葬させてほしいと頼んできましたがだめでした」。福田氏は紅卍字会に埋葬許可を出すよう、もう一度かけあってみると約束してくれた。
今日午前10時頃、私の留守中のことだった。日本兵が1人、使用人の部屋に押し入り、女たちが悲鳴をあげながら私の住居へ逃げ込んできた。屋根裏部屋まで追っていったところで、この日本兵は、たまたま私を訪ねてきた通訳の日本人将校に取り押さえられ、放り出された。占領されて今日で26日。南京のヨーロッパ人住宅の治安状況がどんなものか、これでもわかるだろう。
リッグズが今日の視察の報告書を持ってきた。うつろな目をした女性が1人、通りをふるふらさまよっていたという。この人は病院に運ばれ、身の上を話した。18人家族だったが、生き残ったのはこの人1人だという。残りの17人は射殺されるか、銃剣で突き刺されるかして死んだ。家は中華門の近くだそうだ。わが家の収容所にやはり近くに住んでいた女性がいる。弟が一緒だが、こちらは両親と3人の子供をなくした。全員日本兵に射殺されてしまったのだ。せめて父親だけでも埋葬したいと、なけなしの金で棺桶を買ったところ、これを聞きつけた日本兵たちが蓋をこじ開け、亡骸を放り出したという。中国人なんかそのへんに転がしておけばいいんだ、というのが、彼らの言い分だった。
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もしも後半部分だけなら「だからなに?ただの創作だろ?」と言われてしまうかもしれませんが、この日の日記には「福田氏」という日本人が登場しています。
「福田氏」とは日本大使館書記官の福田篤泰のことで、彼も南京大虐殺が本当に起きていたことを認めているというわけなのです。
小林よしのりは1月4日のニューヨーク・タイムズに撹乱工作兵の事件が載ったことで、ラーベが都合が悪くなったなどと言っています。
もしもそれが本当だったらわずか3日後の日記に、南京大虐殺の証人である日本人外交官の名前を実名で書いたりするでしょうか?もっと当たり障りのない内容にすると思うのですが……?
【福田篤泰の嘘】
ところで敵に塩を送るようですが、田中正明〈南京事件の総括〉に次のような記述があることを紹介しておきます。
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(前略)福田氏はのちに吉田首相の秘書官をつとめ、代議士となり、防衛庁長官、行政管理庁長官、郵政大臣を歴任した信望ある政治家で、筆者とも昵懇の間柄である。(中略)福田氏は当時を回顧してこう語っている。
「当時ぼくは役目がら毎日のように、外人が組織した国際委員会の事務所へ出かけた。出かけてみると、中国の青年が次から次へと駆け込んでくる。
『いまどこどこで日本の兵隊が15、6の女の子を輪姦している』。あるいは『太平路何号で日本軍が集団で押し入りものをかっぱらっている』等々。その訴えをマギー神父とかフィッチなど3、4人が、ぼくの目の前で、どんどんタイプしているのだ。
『ちょっと待ってくれ。君たちは検証もせずにそれをタイプして抗議されても困る』といくども注意した。時に私は彼らをつれて強姦や掠奪の現場にかけつけて見ると、なにもない。住んでいる者もいない。そんな形跡もない。そういうこともいくどかあった。
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これを読んだ大虐殺なかった派は「なんだよ。福田篤泰は南京大虐殺肯定派じゃないじゃないか!」と思われるかもしれませんが、ほかの記事で説明したようにラーベの日記はまぎれもなく事実です。
よって福田篤泰のほうが嘘をついているということになるんです。
「そんなまさか……」と思われた方は前の記事【「南京大虐殺など見たことも聞いたこともない」と証言する人たちの真相】を読み返してみてください。
【まとめ】
●小林よしのりの主張が事実なら、ラーベが1月7日の日記に福田篤泰のことを書くのは不自然である。