「南京安全区国際委員会は支那撹乱工作兵とグルだった」の真相(前編) | 歴史の超真相ブログ〜教科書には嘘しか書かれていない~

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✳️【三戒】
 「三光」とは中国共産党の造語で、昭和13、14年頃から大宣伝されたもの。

 もともと日本軍が第10軍が「焼くな、殺すな、盗むな」

 第27師団が「焼くな、犯すな、掠めるな」など各地で「三戒」を厳命徹底させていたが、これをまっさかさまにしたもの。

 兵站部隊などなく、補給をすべて略奪に頼っていた中共軍が、その罪を全部日本軍にかぶせるために作ったのである。

 南京事件の際は、この自分たちでやっておいて「日本人の蛮行」に仕立てる支那撹乱工作兵が大活躍したことをご存知だろうか?

 例の南京のシンドラーといわれる(?)ジョン・ラーベも、この撹乱工作兵がにだまされたまま、あるいは故意にだまされたふりをして日記を書いて出版の用意をしている。

 1937年12月13日に日本軍が南京に入っているのだが、翌年1月4日に次の記事が「ニューヨーク・タイムズ」に載った。

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 南京の金陵女子文理学院に避難民救助委員会の外国人委員として残留しているアメリカ人教授たちは支那軍から離れた陸軍大佐1名とその部下の将校6名を匿っていたことを発見して心底から当惑した。

 じつのところ教授たちはこの大佐を避難民キャンプで2番目に権力のある地位につけていたのである。

 この将校たちは支那軍が南京から退却する際に軍服を脱ぎ捨て、それから金陵女子文理学院の建物に住んでいて発見された。彼らは大学の建物の中にライフル6丁とピストル5丁、砲台からはずした機関銃1丁に、弾薬を隠していたが、それを日本軍の捜索の際に発見されて、自分たちのものであると自白した。

 この前将校たちは南京で略奪したことをアメリカ人やほかの外国人のいる前で自白した。また、ある晩、避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には日本兵が襲った風にしたことも自白した。

 この前将校たちは逮捕された。戒厳令に照らして罰せられ、おそらく処刑されるであろう。
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 新聞にまで載ったこの事件当然、安全区委員会のジョン・ラーベらの耳にも入ったはずなのに…不思議なことに安全区委員会の報告書にもラーベの日記にもこの事件の記述がない。

安全区委員会の報告書を見ると、1937年12月14日から毎日毎日日本軍の蛮行が報告され続けているのだが…

 ところが1938年1月4日から6日までの3日間は1件の報告もない。

 1月4日、ニューヨーク・タイムズに撹乱工作兵が逮捕されたことが載ったら、3日間、日本軍の蛮行の報告はピタッと止まってしまう。

 これも変じゃないか。わざとらしい……

 この3日間、撹乱工作兵が安全区委員会に報告に行くのをやめたか…

 安全区委員たちが問題の記事についてどう対処するか決めかねていたのか…

 どうも後者のような気がする。

 そして1月7日から以前と同じように連日、日本軍の蛮行が報告されていくのである。

 ラーベは支那兵の龍大佐、周大佐という2人の将校を匿って3万ドルという大金を受け取ったことを日記の中で書いてしまっている(107ページ)。

 この金は一体なんなのか?

 日記では「負傷者の面倒を見るための資金」といっているが、それだけのようには思えない。

 そもそも将校を匿うこと自体、重大な協定違反であるが、その上なんらかの便宜を与えていたのでは?

 イギリスの砲艦レディーバード号が南京から逃亡する支那兵を平然と乗せていたことから考えても、当時の英米などの諸国は「中立」というのは有名無実で、支那軍に味方するのが普通になっていたものと思われる。

 となるとジョン・ラーベは「南京のシンドラー」どころか、難民が支那撹乱工作兵に略奪され、犯され、殺されるのを見て見ぬふりをして、それをすべて日本軍のせいにして報告していたのではないか?という疑惑まで充分持てるのだ! 小林よしのり〈新ゴーマニズム宣言スペシャル 戦争論〉より


✔️【反論〈第10軍〉】
 本題に入る前に、ちょっとひっかかったことを書きたいと思います。

 「第10軍」という言葉が出てきますが、柳川平助中将が司令官をつとめた第10軍のことなのでしょうか?

 ほかの記事にも書いたことですが、柳川平助とは南京城を攻略する際、部下たちに「あらゆる手段をつくして中国人を殲滅せよ」と命令した人物です。

 そんな人物が率いる軍が「焼くな、殺すな、盗むな」という三戒を徹底していたとは、到底信じられないのですが……。

【ラーベたちは事件のことを知らなかったと思われる】
 本題に入ります。

 小林よしのりは事件のことを「新聞にも載ったのだからラーベたちも知っているはずだ」などと言っていますが、事件が載った新聞はアメリカのニューヨーク・タイムズであり、中国の南京に住んでいたラーベたちがニューヨーク・タイムズを読めるわけがありません。

 また、ラーベの日記を読んでみると、ラーベがラジオと新聞で情報を得ていた様子が書かれていますが、どこにもニューヨーク・タイムズという新聞名は出ていません。

 仮にラーベたちが事件のことを知っていたとしても、日本大使館に報告するのは日本軍の蛮行なはずであり、わざわざそんな事件のことを報告する必要性はないでしょう。

【もう1つの撹乱工作兵摘発事件】
 また、1月4日から3日間、報告が止まったことを「わざとらしい」と言っていますが、1月25日からも数日間、報告が止まったという事実があるんでしょうか?

 実はチャイナ・プレスという新聞が1月25日号で、外国大使館から1500人以上の支那撹乱工作兵が摘発された事件を載せているのです。

 このときもラーベたちは日本大使館への日本軍の蛮行の報告を止めていたのでしょうか……? 

【撹乱工作兵がいることが大虐殺があった証拠】
 そもそも撹乱工作兵などというものが効果を発揮するのは、そのくらい日本軍による蛮行がすさまじかったということなのではないでしょうか?

 「日本軍が連日これだけひどいことをやりまくっているんだ。オレたち(中国軍)が悪いことをやっても、みんな日本軍の仕業だと思うだろう。ケケケ……」という感じで撹乱工作をやっていたというのが実情だと思われます。

 よって撹乱工作兵がいたことは事実だと思いますが、あくまで例外、ごく少数であり、ラーベたちが事件のことを知っていたとしても、やはり日本大使館にそのことを報告する必要性はないと言えるでしょう。

【まとめ】
 ●ラーベたちは撹乱工作兵の事件のことを知らなかった可能性が高い。

 ●撹乱工作兵がいたことが、南京大虐殺があった証拠と言える。